無題


隊長室と呼ばれるそこは、一人でいるには広すぎて、ふとこんなところよりももっと広い、それこそ無限に広がっているであろう空のことを想う。
風を切って飛ぶのは嫌いではない。けれどそれが、一人でならどうだろう、なんて。飲み込まれそうな青に私は果たして一人、耐えることなんてできはしないだろう。
一人がこわいわけではなくて、ただ私は大切なものをこの手に持ちすぎた。
ウィッチとしてネウロイという敵に立ち向かう私たちにはつねに死と隣り合わせで孤独というのが当たり前なのだ。
それなのに独りというものにとても現実味がなく、だからきっと私は。

視界がふっとかげった。背後の窓から差し込んでいた光がきっと雲によって遮られてしまったのだろう。
小さく、息をつくと私は手にしていた書類に目を落とした。ちらり、と文字が動いたように思えて。そっと、髪の上からこめかみを押さえた。
この頃、こんなふうにこめかみに手をあてがうことが多くなった。大机に肩肘をつき、それからまた、今度はさっきよりも大きな息をついて。
こんなところ、とてもじゃないけれど他の子たちの前では見せられないわね、そんなふうなことを思いながら。

コンコン。

突然、そんな音がした。
誰かが部屋の戸を叩いているのだと気付くのにたっぷり数秒はかかった。

「はい、どうぞ」

そう声をかけると、待っていたかのようにすぐその扉は開いた。

「失礼する」

そう言って入ってきたその人は、「どうかしたのか、ミーナ」と、少しだけ心配げな目の色で私をとらえた。

「いいえ、なんともないわ」

私はそう答え、できるだけ不自然に思われないように「それでどうしたの、坂本少佐」

坂本少佐ーー美緒は「あぁ」と言いながらつかつかと私の前まで歩み寄ってくると一通の手紙を机の上に置く。
それはいささか乱暴にも見受けられた。差出人に名前はなく、宛名に『ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐』とあるだけの、いたってシンプルな封筒。

「上層部からだ」
「そう。わざわざありがとう」

私は言い、その手紙の封を切ろうとして。
美緒がじっとその様子を見ていることに気が付いた。

美緒は言った。その顔に厳しさをうつして。

「ミーナ。しばらく休んだほうがいい」

それは提案でもなんでもなく、有無を言わせない調子で。
美緒は確かに、そう言った。

「その手紙もきっと、呼び出しかなにかだろう。ミーナの働きにはいつも目を見張らされるが、さすがに疲れもたまっているんじゃないか」

今だってひどく苦しげな顔をしていたぞ。
美緒はそのまま、先ほどまでこめかみにおかれていた私の手に自分の手を重ねた。かたく、それでいてとても温かな、美緒の手のひら。

「大丈夫だ。しばらくはネウロイの侵攻もないはずだし、たとえあったとしても私がいるのだから何も心配することはないぞ」

はっはっはっといつものように豪快に笑う美緒の手を、私は払いのけた。

「あなたが口出しするようなことではないはずです、少佐」

冷ややかな、声が出たと思う。
美緒の表情が変わったのがわかった。怒ったような、悔しそうな、辛そうで、切なそうな。

「中佐……」
「退がりなさい」
「ミーナ」
「退がって」

少しだけ、強い調子でそう言った、つもりだった。
けれど、実際に出た声は、掠れて、ほとんど声らしい声になんてなっていなくて。美緒を睨んだはずの目も、やはり美緒を映せなかった。
この人の優しさが、苦しいくらいに、愛しいと、思ってしまう。そしてきっと、この人の前では虚勢を張ったって無駄なのだ。
ストライクウィッチーズの隊長として、どこまでも強くあり続けなくてはならないのに、そしてそのことをちゃんとわかっているはずなのに、この人は。

「ミーナが無理をしすぎて倒れてしまっては、それこそ本末転倒だ」
「私、そんなに柔なつもりはないのだけれど」
「泣きながら言われたって説得力はないな」

くすりと笑い、美緒の手が私の視界を邪魔する涙をそっとすくう。
微かに頬に触れた手は冷たいはずなのに、逆にぼっと熱くなった。「美緒はひどいのね」

「そんなつもりはないんだが」
「ひどいわ」

困ったような顔をした美緒に、私はわずかに笑ってみせた。自分だけかっこつけようとして。
私だって、少しぐらい無理をしなくちゃ、この隊をまとめるなんてできるはずもない。それでも無理をし続けてしまったら、私はそんなに強くないからきっと美緒の言う通りいつか倒れてしまうだろう。
そんな私ぜんぶを、美緒はきっと、わかってくれている。人間関係にはうといくせに、個人のことに関してはとても鋭いのだ、美緒は。

「ミーナ」
「無理をする部下たちばかり。私の気も知らないで」

みんなとは言わないけれど、いつ敵に墜撃されるかもわからない状態で、それなのに戦場に飛び出して行って。

「悪いことではないだろう」
「悪いことよ。帰ってこられないかもしれないって、あなたたちは」
「帰ってくるさ」

人差し指で私の唇をふさぎ、美緒は言う。あくまで真剣な顔をして。


「みんな、帰ってくるさ」
「そんなの……!」
「ミーナがみんなを守りたいと思うようにみんなもミーナを守りたいと思っている」

だからどっしりかまえていれば良いのです、隊長殿は。

最後はおどけたように、けれどひどく力強い言葉。また一粒、涙が落ちる前に、私は「そうね」と。
やさしい、やさしい手が机越し、私の頬に触れた。

もう誰も君の前から消えはしない。
もちろん、私もだ。

「誓おう、ミーナ」

バカ、当たり前よ。
囁いた声に、美緒の誓いが重なった。


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