無題


「エーリカ、聞いてる?」

少しだけ怒ったように聞いてくるミーナの声に、エーリカはうとうととしたまどろみの中からふっと引き戻された。

「……ああ、うん。おはよ、ミーナ」
「もう、おはようじゃないでしょ」

ごめんごめんと笑うと、ミーナは厳しい顔でエーリカを睨んだ後すぐに、「しかたないんだから、この子は」というような笑みを浮かべる。
よくバルクホルンはそんなミーナに「甘い」と言うが、エーリカにとってみればまるで聖母みたいなものだ。特にいつも怒ってばかりのバルクホルンと比べれば。

「それで、なんだっけ」

よいしょ、とずり落ちかけていた椅子に座りなおして、エーリカは再びミーナの話に耳を傾けようとする。
けれどミーナは「もういいわ」と苦笑を浮かべた。

「ええー、なんで」
「そんなに大した話してなかったでしょ?」

確かに、なんとでもないような会話ばかりを繰り返していた。
トゥルーデが昨日した小さな失敗とか、じゃがいもの育て方についてリーネに聞いたこととか、出会った頃の昔話なんかを。
「あなたが眠ってしまうくらいつまらない話だったみたいだし」と少し拗ねたような顔をして言われれば、エーリカとしてはそれ以上今さっきミーナが言いかけたことの続きを促すことなんてできない。

「悪かったってばー」
「はいはい」

ミーナはエーリカの困ったような様子にふふふと笑うと、エーリカと向かい合って座っていた椅子から立ち上がった。
いつのまにか二人を挟んで在ったテーブルに置かれていた紅茶は冷めかけていた。「エーリカも、いる?」
部屋の隅の棚から急須を取り上げながら、ミーナが言う。急須とは言いつつ、中身は扶桑茶ではなくブリタニア産の紅茶だ。
この部屋をよく訪れる扶桑出身の坂本少佐のプレゼントなのだと、以前ミーナが嬉しそうに言っていたことをエーリカはぼんやりと思い出した。
それから、今朝宮藤と街へ出かけるのだと意気揚々部屋を出て行ったバルクホルンのことも、なんとなく。

「エーリカ?」
「あ、うん。いるいる」

中々返答のないエーリカに、ミーナがこちらへ戻ってきながらもう一度名前を呼ぶと、エーリカはようやくいつものようにそう答える。
ミーナはまた「はいはい」と言いながら温かなお茶を注ぎなおし、エーリカに手渡した。

「ありがと」
「どういたしまして」

ミーナがそう楽しそうに答え、椅子に再び腰掛ける。
しばらくはずっと黙り込んだままお茶を飲んだ。けれど、元々口数の少ないエーリカにとってこういう時間は安心できた。特に、ミーナやバルクホルンといるときは。
こういうとき、エーリカは改めて、二人は自分にとって大切なのだと思う。けれど、テーブルに置かれた急須を見ると、どうしても、二人にとっての自分の存在はそうではないのだろう、なんてことも思ってしまって。

ブリタニアに渡ってくる前からずっと一緒だった。
バルクホルンとミーナ、そしてエーリカの三人。ずっと、一緒で。今だってそれは変わらない。
そのはずなのに、最近どこかしらスースーするのはなぜだろう。その答えはわかっている。わかってはいるけれど、エーリカはずっと気付かない振りをする。

「ねえ、ミーナ」

いつのまにかまたふわっと眠りに沈みそうになって、エーリカはぽろりと言葉を投げ掛けてみた。

「私でよかったの?」
「どういうこと?」
「ほんとは、少佐といたかったんじゃないのかなって」

エーリカは言うつもりのなかったことも口に出してしまっていたことに気が付いて、はっとした表情をした。
人のことをよく見ていて、気遣いのうまい二人。けれどこの二人の間でなら、勝つのは当然ミーナなのだった。

「あら、どうして?」

ミーナはくすりと笑って首を傾げる。
エーリカの頬がカアッと朱に染まり、それが徐々に徐々に膨らんでいく。わかってんでしょ、とでも言いたげに。

本当に、言うつもりはなかったのに、とエーリカは思う。
察しのいいミーナにはきっと、エーリカの抱いているもやもやはお見通しなのだ。そのことが少し悔しいし、ひょっとするとミーナを困らせてしまうかもしれないと思えば悲しくもなる。
黙り込むエーリカに、ミーナはふと立ち上がって近付くと、そっと肩を抱き寄せて「ねえ、フラウ」と。

エーリカの身体はぴくりとふるえ、「なに?」と不機嫌な顔をミーナへと向ける。
思いがけず近い位置にミーナの優しげな瞳があって、エーリカは一瞬逸らしかけた目を、けれど結局逸らすことはせずにじっと覗き込んだ。
ミーナの瞳の奥にはエーリカがいて、泣きそうな、『黒い悪魔』と呼ばれるにはあまりにも幼い顔をしていた。

ミーナの前では、いつもこうだ。
誰にでも飄々としているくせに、ミーナの前では。

「フラウ」

エーリカ。かわいいお嬢さん。

何度も何度も。
ミーナがあやすようにエーリカを呼ぶと、ついにはエーリカも笑わずにはいられなくなった。

「もう、なんなんだよー」
「ふふっ。だって、あなたが本当にしかたないから」

ミーナは笑ったエーリカを優しく抱き締めなおすと、「戦場ではあんなにも大きく見えるのに、地上では私の腕にすっぽりとおさまってしまうわ」と囁いて。

「こんなかわいい子、私が手離すはずはないでしょう?」

エーリカはなにも言わず身体をひねってミーナの胸に顔を埋めると、こくりとうなずいた。
ミーナの手が、そっとエーリカの髪に触れる。その優しい感触にひたりながら、やっぱりミーナには敵わないや、とエーリカは思う。

「それにね、フラウ」
「うん?」
「本当に聞いてなかったのね」
「……」

「『最近、あなたと話せてなくて寂しかったわ』」

さっき、そう言ったんだけど。
ミーナがそう言い笑う。

ああ、言葉にするまでもなかったのだ。
こうしているだけでも、ミーナの変わらぬ愛情をひしひしと感じられるのに。

「だって、知ってるよそんなこと」

強がりでそう言ってみると、ミーナは「あら」と言ってくすくす笑うのだった。
もうすぐ日が暮れ、こののんびりとした時間も終わってしまう。明日からはまた、ネウロイとの戦いが待っているだろう。
それまでは、この大好きで大切な、上官であり戦友であり家族に抱き締められていよう。エーリカはそう決め、「ミーナ」と甘えた少女のまま、そう名前を呼んだ。

もっともっと。彼女の愛情を感じるために。


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