それは外して下さって
ペリーヌ中尉。
そう言われた時、最初は何の違和感も覚えなかった。
でも、過去とのちょっとした誤差。
「中尉」という言葉が作る、あの子との僅かな隔たり。
それらが合わさってようやく気付いた。
あの子の私の呼び方が変わったのだと。
クロステルマン少尉と私を呼んでいたあの子は、あの日私をペリーヌさんと呼んだ。
でも、今はペリーヌ中尉と私を呼ぶ。
別々の部隊に居たせいなのか。あの子が私と距離を取りたいと思っているのか。
その理由はわからない。
グッと近づいていたはずの距離が、何だか離れてしまったように思えた。
すぐそばにいるのに、手を伸ばせば届く距離に貴方はいるはずなのに。
ほんの些細な事なのだけど、やっぱり寂しくなってしまう。
ペリーヌ中尉。
パリの空の下、久し振りの再会に何でそう呼んだのかが未だにわからない。
「少尉」から「中尉」になったから?
でも、前はペリーヌさんって呼んでいたんだから、それをペリーヌ中尉に変える理由は無い。
何だろう?
ガリアを解放したペリーヌさんが別世界の人になったから?
英雄になったから? 遠い存在になったから?
・・・多分違う。
元々ペリーヌさんは私から見たら遠い人。
近付きたいとは思っても、離れたいとは思わない。
きっとあの時、やっと会えることにどこか緊張していたのかもしれない。
だから、つい「中尉」なんて格式ばった呼びかたをしたのかなと、今になって思う。
でも、やっぱり失敗だな。
一度、中尉と呼んだせいでペリーヌさんって言うのにどうしても尻込みしてしまう。
それに、ペリーヌさんは何も言ってこない。
別にペリーヌさんは、中尉って呼び方で全然構わないのかな?
それだと・・・少し寂しいな。
「おはようございます、アメリーさん」
「おはようございます、ペリーヌ中尉」
「今日もよろしくお願いしますわ」
「はいっ! 頑張ります!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・じゃあ、また後で」
「は、はい」
今日も聞き出せなかった。
今日も言い出せなかった。
それに何でしょう。
それに何だろう。
妙なよそよそしさを感じる。
何で中尉なんて付けるのかしら。
何で中尉なんて付けるんだろう。
何か理由があるの?
何も理由は無いのに。
私の名前をどう呼びたいのか。
私に名前をどう呼ばれたいのか。
その本心はわからない。
だけど。
それでも私は、ペリーヌさんと呼ばれたい。
それでも私は、ペリーヌさんと呼びたい。
どんな結果になるかはわからない。
だけど、そろそろ決着を付けないと。
「あっ、あのアメリーさん。ちょっとお話がごさいますが、よろしいかしら?」
ペリーヌはやや表情を固くし、メガネを軽く上げながらアメリーにそう問いかけた。
「あっ、はい。実は私も言いたいことがあったんです」
アメリーもやや強張った表情を見せたため、あらそうなの、
と何事も無いように返事をしながらも、ペリーヌの心は新たな動揺をきたしていく。
「それで・・・ペリーヌさん! お話ってのは、どういったことですか?」
え?
ペリーヌは、言ってもらいたかったセリフを実際に耳にしてしまい、たじろいでしまった。
「わ、私の話は後回しでいいですわ。まず、貴方からどうぞ」
両腕に力を込め、さっき発言をしたままの状態で返事を待つアメリーに、
できるだけ平静を装い、ついでに威厳と余裕をまぶしながらペリーヌは切り返す。
「へ? 私は・・・言いたいことは言ってしまいました」
そう言いながら、アメリーの顔は弛んだ。
え?
一方のペリーヌは事態が飲み込めず、頭の上に疑問符を浮かべた。
「だって、貴方。ただ、私に返事をしただけじゃ・・・!」
アメリーが何と言って返事を、いや名前を何て読んだかを思い出し、言葉の意味を理解できた気がした。
ただ、違うかもしれない。
ペリーヌは野暮になるのかもしれないと思いながらも、言葉を繋いだ。
「『ペリーヌさん』、私をそうお呼びになりなかったの?」
「・・・・はい」アメリーは目を伏せ、指先を玩びながら恥ずかしげにつぶやいた。
視界の中のアメリーの頬はだんだんと赤みを帯びていくが、当のペリーヌも自分の顔の温度が上がっていくのを感じていた。
結局、2人同じようなことを悩んでいたのだと気付いたから。
「ずっとペリーヌさんって言いたかったんです。でも、なかなか言い出せなくて。
もし、中尉の方がいいと言われたらどうしようと思って。あの・・・それでペリーヌさん。お話ってのは?」
「ふぇ!? その・・・私もその事が気になってまして。前は、ペリーヌさんと呼んでいたのに、
パリで再会してからはペリーヌ中尉と呼んでいるのは何でかなと思いまして」
「理由は・・・特に無いんです。ただお会いした時にそう言ってしまっただけで。
でも、なかなか言い換える機会がなくて」
「そうでしたの」
「あの・・・これからもペリーヌさんってお呼びしてもいいですか!?」
アメリーはグッと顔を近づける。ペリーヌの視界に潤んだ瞳が飛び込んだ。
「構いませんわ。そう貴方に申し出たのは、他でもなく私なのですから。それに」
「それに?」アメリーは首を右に傾げる。
ここで話を切ることは出来た。
でも、それはなんだかズルイと思い、ペリーヌは思っていたことを吐露してしまった。
「私も・・・中尉なんて堅苦しいものは付けずに、ただ前のようにペリーヌさん。
と、貴方に呼んでもらいたかったんですの。貴方に中尉と呼ばれて・・・少し寂しかったんですのよ」
「ペリーヌさん」
「え?」
「ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。
ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん。ペリーヌさん!」
「あ・・・あの、一体どうなさいましたの?」
驚きに目を見開きながら、ペリーヌはアメリーを見る。
「その、ペリーヌさん。って私が呼ばなかったせいで、ペリーヌさんに寂しい思いをさせてしまったのなら、
今まで言わなかった分のペリーヌさんを言おうかなと思って・・・す、すいません! 変な事をしてしまって!」
申し訳なさそうにするアメリーに対して、ペリーヌは楽しそうに笑った。
「貴方もずいぶん洒落たことをなさいますわね」
「・・・うぅ、すいません慣れないことをしてしまって」
「構いませんわ。でも・・・これまで私を中尉と呼んできた数と比べて、今のでは全然足りませんわね」
「そ、そうですね」
「これまでの不足分を返してもらうためにも、この先もっと私の名前をお呼びなさいまし、アメリーさん」
Fin