nostalgia
「何? リベリアンが怒っているだと?」
昼食後、廊下でしゅんとしたルッキーニから聞いたトゥルーデは唖然とした。
「あいつが怒る……一体何が有ったんだ。何か怒らせる様な事でもしたのか」
「そんな事してない! てか、あたしが分からないから聞いてるのに!」
「いやすまんルッキーニ、私も事情がよく分からないんだが」
トゥルーデの横に居たエーリカが、んー、と顎に手をやり少し上を向く。そしてぽつりと一言。
「ねえ、シャーリーが怒る前、何やってた?」
「え? 怒る前?」
聞かれたルッキーニは、しばし朝の様子を思い返した後、二人を引き連れてハンガーへと向かった。
「ここで、いつもと同じ様に、ストライカーユニットいじってた」
ルッキーニが指差す所。そこはシャーリーの“指定席”。暇さえあれば、部屋かハンガーの一角に陣取り、籠もりっきりでユニットの調整や魔導エンジンの分解整備等に明け暮れる。
朝、食事を皆で一緒にした時、彼女は普段と何も変わらなかった。
突然の豹変の理由は一体?
格納装置には、シャーリーが置いていった彼女のストライカーユニットが整然と置かれていた。綺麗に磨かれ、傷も無い。
「確か、朝に試験と訓練を兼ねて飛行に出た筈だな」
「そうだね」
シャーリーのスケジュールを確認するトゥルーデとエーリカ。
「まさかエンジンを壊したとか」
適当に推理してみるエーリカ。
「なら、ミーナか少佐に言うだろう」
「でも、思う様に速度が出なかったって、確か報告に……」
「そうだな」
執務室で偶然目にした報告書の事を思い出す二人。
「シャーリー超怖かった……なんであんなに怒るの」
ルッキーニはそれ以上多くを語らないが、全身のジェスチャーが多弁に事を語っている。小さく震え、涙目のルッキーニを見、トゥルーデはぽんと肩に手をやり、頭を撫でる。エーリカも倣って、ルッキーニを優しく抱きしめる。
「心配ないよ、何とかなるって」
「本当?」
「大丈夫だ、私達に任せろ」
トゥルーデとエーリカは頷いた。
「何が大丈夫だって?」
ハンガーの入口から聞こえる、酷く苛ついた感じの言葉。普段の彼女のものとは思えない、シャーリーのやさぐれた声。彼女の表情は暗く、険しい。瞳の色も何処か濁り、それでいて鈍く錆び付いていて、刺々しい。トゥルーデは憶することなく、声を掛ける。
「丁度良いところに来たなシャーリー。聞きたい事が有る」
「あたしは何も無い。てかなんであたしのストライカーユニットの前に居るんだ。退けよ」
今にも殴り掛かりそうな勢いのシャーリー。びくっと震えるルッキーニ。エーリカは頭を撫でつつ、ルッキーニを連れて一歩後ろに下がる。トゥルーデも心得たもので、二人をシャーリーから庇う位置に付くと、真正面から向き合い、顔を見据え、ゆっくりと口を開いた。
「ルッキーニから聞いた。何をそんなに怒っている?」
「あんたらに解るもんか」
吐き捨てる様に言うと表情を歪めるシャーリー。
「まずは話さなければ何も分からないだろう。エスパーでもあるまいし」
「今度は説教かよ? てか堅物、そこ退け。あたしはあたしのストライカーユニットに用がある」
「生憎だが私はお前に用がある、リベリアン。そんな精神状態でまともに飛べると、整備が出来るとでも思うのか」
「くっそ! 邪魔だって言ってるだろ!」
シャーリーが先に手を挙げた。ストレート気味に振られた拳は、素早く反応したトゥルーデの掌にすっぽりと収まる。そのまま怪力で拳を握り、相手が痛がるのも構わず、そのまま強引にねじり上げ、関節を決め、背後を取る。そして耳元で冷静に言う。
「いきなり暴力とは、らしくないなリベリアン。本来なら懲罰モノだぞ」
「いたたたっ! 痛い痛い! それ以上力を込めるな! 腕が千切れる!」
「なら、ストライカーいじりは少しやめて、私に付き合って貰うぞ。良いな?」
「堅物からデートのお誘いかよ……ッ!」
くそっ! とシャーリーはもう一度悪態をついた。
基地のバルコニー。そよ風が心地良いその場所に、四人は居た。
トゥルーデの決め技から解放されたシャーリーはわざとらしく腕をぶんぶんと回すと、手摺に寄り掛かり身体を預けると、空を見上げた。
「なあ、堅物……じゃなくてバルクホルン」
傍らに置かれたマグカップ。薄目、甘めに淹れたミルクコーヒーを一口すすり、気持ちが少し落ち着いたのか、目を合わせないまま、空に顔を向けたまま、ぽつりぽつりと呟く様に喋るシャーリー。
「今朝もあたしは快調だった。いつもと同じ様に愛用のユニットを整備して、最高の状態にチューンして……」
同じくマグカップを片手に、じっと話に聞き入るトゥルーデ。エーリカとルッキーニは、少し離れた場所にある椅子に腰掛け、お茶とお菓子をつまみつつ、二人の様子をじっと見、聞いている。
「そして試験飛行。調子は良かった。イイ感じに上昇。加速してさ」
「……」
黙ったまま、シャーリーの言葉を待つトゥルーデ。そんな彼女をちらりと見て、シャーリーは言った。
「喋れよ」
「いや、話の続きが聞きたい」
「何だかな。……で、そんなこんなで飛んでる時に、ふと、鳥に逢ったんだ」
「鳥?」
「ああ。何の鳥かは知らないけど。大きくて、風に乗って……渡り鳥かな。大きな翼を広げて、ゆったりと、ほんと、止まる位にゆっくり、空を飛んでいた。一キロでも速度を上げようとしてるあたしになんてお構い無しさ。まるであたしが馬鹿みたいに」
「そこまで言わなくても」
「で、羽根がひとつぽろっと落ちて、あたしはそれを掴んだ」
そう言うと、シャーリーは胸元から大ぶりの羽根を取り出し、トゥルーデに見せた。
「これだよ。これ見てたらさ……よく分からないけど、あたしがやってる事、一体何なんだろうって思ったら、情けなくなってね。気付いたら墜落寸前まで速度が落ちてたよ」
自嘲気味に笑うシャーリー。鳥の羽根をトゥルーデに押しつける。何の鳥かのものは分からないが、とにかく芯の強いその羽根は見事で、飾りに出来そうな位に白さが美しい。
「鳥は気付いたら遠くに飛んでったよ。まっすぐにね」
「そうか」
「ああ。あたしなんか眼中にないって位に」
シャーリーは、そこで初めて自分の足を見た。
「鳥の去っていく姿見て思った。……あたしは一体何だ? バイクをかっ飛ばしてた、ボンネビルの頃から何も変わってない。何も。何一つ。ただ速さだけを追い求めるスピード狂? それなのに」
そう言うと、シャーリーは、ああもう、と呟いて頭をかきむしる。トゥルーデは、そう言う事かと内心独りごちると、羽根を持ったまま、優しく言った。
「お前は、変わった」
「何処が?」
即座に聞き返すシャーリーに、ゆっくり聞かせる様に答えるトゥルーデ。
「501(ここ)に来て、変わった筈だ。それはお前だけじゃない。私も。そしてそこにいるルッキーニも、ハルトマンも」
「具体的にどの辺が」
「らしくなく、理詰めで来るんだな。変わった事は、人それぞれだ。性格が柔らかくなったり、色々だろう」
「じゃあ、あんたから見てあたしはどこが変わった?」
「そうだな……それは、お前に一番近い奴が一番知っている筈だ」
「?」
会話を聞いていたエーリカが、トゥルーデと目くばせすると、横でしょんぼりクッキーをかじっていたルッキーニを立たせて、出番だよと耳元で囁き、シャーリーの元に送り出す。
「ルッキーニ……」
「シャーリー……」
二人は久しぶりに出会った恋人みたいに、気まずそうに、言葉を交わせないでいる。
二呼吸分程もじもじした後、不意にルッキーニが呟く。
「ね、ねえ。もう、怒ってない?」
「え? あ、ああ……ごめんな」
「シャーリー、変わってないよ? いつもと同じ。いつも楽しくて、どんな時も頼もしくて、あたしのそばに居て、あたしに構ってくれる……だから」
「そっか。そうだよな。ごめん、ルッキーニ」
シャーリーはルッキーニをそっと抱きしめると、額にキスをした。抱きついて来るルッキーニをきゅっと抱き返すうちに、いつもの楽天的で、柔和なシャーリーの表情に戻る。
「シャーリー、いつものシャーリーでいて?」
「勿論、あたしはあたしだ。ごめんな、心配掛けて」
ルッキーニを優しく撫でる。そして彼女の言葉を反芻した後、トゥルーデの方を向いて訝る。
「おいバルクホルン、どう言う事だ? あたし、変わってないってさ」
「そうだよ、それだよシャーリー」
エーリカがトゥルーデの横に来て、そう言って笑った。
「?? ハルトマン、意味が分からないぞ」
「ルッキーニが言ってたじゃん。その通りだよ。いつもニコニコ貴方のそばに……ってさ」
「501(ここ)に来る前、そしてルッキーニが来る前のお前はどうだった?」
エーリカとトゥルーデの言葉を聞き、頓知でしてやられた様な表情をした後、不意にくすっと笑った。
「これはお前に宛てた鳥からのメッセージじゃないか? 大事にするんだな」
トゥルーデはシャーリーに純白の羽根を返した。
「なんだかえらく詩人だな。らしくないぞバルクホルン。悪いモノでも食べたか?」
「失礼な奴だな。これでも……」
「心配なんだよ、シャーリーの事がね」
ふふーんと笑って袖を引っ張るエーリカ。
「そ、そんな事有るか!? 私はあくまでも最先任尉官としてだな」
「はいはい。じゃ、行こうか。じゃあ二人共、夕食でね」
エーリカはまだ何か言いたそうなトゥルーデを連れて、バルコニーから退出した。
バルコニーに残されたシャーリーとルッキーニ。
「なんか、ゴメンな。本当ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
「いいの。シャーリーいつもと同じに戻ってくれたから」
「許してくれるのか。そっか、ありがとな」
「だって、シャーリーだいすきだもん」
「あたしもお前が大好きだぞ、ルッキーニ」
二人は西日差すバルコニーの中で、そっとキスを交わす。
そして、シャーリーはルッキーニの手に、鳥の羽根を握らせる。
「これ、やるよ」
「いいの?」
「なんか、欲しそうな目してたし。それにこれ、あたしがずっと持ってても、あんまり意味無い様な気がしてさ」
「でも、これ大事なものじゃ?」
「お前が無くさずに持っていてくれたら、いつでも見られるからそれで良いよ、ルッキーニ」
「ありがと。だいすきシャーリー」
二人はもう一度、強くお互いを抱きしめた。
「あれで良かったのか?」
廊下を歩きながら、呟くトゥルーデに、エーリカは微笑んで言った。
「あれが正解。多分。だって、最後いつものシャーリーだったじゃん」
「まあ、な。誰しも、ふとした切欠で我を見失う事は有る」
「そうだね。トゥルーデも……」
「何か言ったか?」
「なんでも~。あ、もしかしてあの羽根ちょっと欲しかったりする?」
「要らん。ただ、クリスが見たら喜ぶかなとか思った……」
「またまた。これだから」
「な、何がおかしい? 言いたい事が有るならはっきりと……」
「じゃあ、キスしたら言ってあげる」
「な、何? それは……」
「したくない?」
「それは……その」
思わず立ち止まった隙を見逃さず、エーリカはトゥルーデと唇を重ねる。微かな触れ合いが、やがてゆっくりとした口吻へと変わる。
「言いたい事、ある?」
問い掛けに、はあ、と大きく息を付いて、ゆっくり答えるトゥルーデ。
「愛してる、エーリカ」
トゥルーデの台詞を聞いて、ふふっと笑う金髪の天使。
「その言葉聞きたかった。私も愛してる、トゥルーデ」
二人はもう一度、お互いの唇を味わった。
end