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 501基地の空気が、そして隊員全員の気持ちが、張り詰めていた。
 間も無く合図をもとに開始される「模擬戦」。ただの模擬戦の筈だ。だが、それが色々なものがまぜこぜになって、どうにもならなくなったものだと、したら。

 事の発端は、数時間前に遡る。
 とある用事で501基地に降り立ったのは、欧州よりも南、地中海を越えた砂漠の煙る地で戦果を上げる、有名な連合軍第三十一統合戦闘飛行隊「アフリカ」「STORM WITCHES」のエース、そして隊長の二人。少々お茶がてら休憩でも……とミーナは基地の隊員全員を集めて歓迎のお茶会を開いた。
 そこで、「人類最高」のエースと褒め称えられるあのウィッチが、やらかしたのであった。
「やあ、この前の合同作戦以来だね……って、殆ど喋ってなかったっけ? ともかくリトヴャク中尉。久しぶり。何度見ても、噂通りのオラーシャ美人だ」
 それまでマルセイユは他の隊員達と呑気に話していたが、サーニャのそばにそそっと近寄ると、声を掛けた。人見知りの気があるサーニャは、「は、はい、どうも」とぎこちなく答えたが、それがマルセイユにまた響いたらしい。
「君、ナイトウィッチなんだってな。是非とも欲しい。アフリカに来ないか」
「でも、私は501のナイトウィッチですから」
「確かにそうだ。でも私は欲しいんだけどな、君を」
 マルセイユはサーニャを気に入ったかの如く、褒め称えた。そして盛んに勧誘する。
「あんまりサーニャを困らせるナヨ。ウチもナイトウィッチはサーニャだけなんだから」
 エイラが口を尖らせる。501から貴重なナイトウィッチを引き抜かれるのが嫌なのか、それとも露骨に誘っているマルセイユが嫌なのか。はたまた両方か。
 待ってましたと言わんばかりに、マルセイユはちらりとエイラを見た。いや、見下した。
「おや。『極北の私』と言うのは君かな?」
 その一言がエイラに火を付けた。
「それはハンナだ! 私じゃナイ! 大体、私達が何でお前の名前を渾名につけられなきゃいけないんダ!?」
「私位に褒められる奴が居るなら、相当強いんじゃないかと思ってね。君じゃないなら失礼した。さてリトヴャク中尉……早速だがこんなとことは早くおさらばして、私の部隊に……」
「待てヨ」
「なんだ、まだ何か有るのか」
「こんなとこ、とは何ダ」
 珍しくエイラが初対面に近い相手に、感情を露わにしている。
「こんなとこ、とは文字通り『こんなとこ』、じゃないのか」
「それは侮辱と取るゾ」
「ほほう。では、どうする? どっかの怪力バカみたいに、力で私をねじ伏せようとでも?」
「エイラ、やめて」
「サーニャは黙っててクレ。ここまで虚仮にされて引き下がれるカ?」
「可哀相に、こんなのと一緒に居るなんて……」
 マルセイユはサーニャの顎をすっと撫でると、唇を近付けた。見ていた芳佳とリーネがきゃあ、と黄色い悲鳴を上げる。
「オイお前!」
 エイラが動く。だが先にマルセイユの肩を掴んだのはシャーリーだった。その速さは一瞬だったが、加速の固有魔法を使ったかどうかは本人のみぞ知る事。
「アフリカじゃあ色々世話になったから言うけどさ」
「お、イェーガー大尉か。どうかしたか?」
「あんた、ここ、アウェーって事、少し考えた方が良いよ」
 シャーリーの口調は気楽だが、目は笑っていない。
 ふっと口の端を歪めると、マルセイユはサーニャから離れ、シャーリーの手をさっと払い除けた。
「どうやらその様だ。あっちからも痛い視線を感じるしね。ご忠告感謝」
 マルセイユは部屋の片隅に居る同胞二人に一瞬視線を送った後、エイラに向き直る。
「全く。あいつと来たら何て事を」
 遠くから様子を見ていたトゥルーデは、苦々しげに呟いた。エーリカは、そんなトゥルーデを宥めるので手一杯。
「よし。スオムスのウィッチ、私と勝負だ。模擬戦で良いだろう。負けたら……」

 そこに割って入ったのは、「ストームウィッチーズ」の隊長、ケイ。
「はいはい。ならこうしましょう。勝ったら一週間リトヴャク中尉を私達の部隊にゲストとしてご招待。負けたら、貴方がブロマイドにサインを百枚、追加で501全員にもサイン入りブロマイドをプレゼント、それで良いかしら」
「何でも良い。何故なら私は絶対に負けないからな。でも、ここは結構強い奴が多いんだろう?」
 その言葉を紡ぐ時、ちらりとエーリカの方を見て……、その後改めて501全員を見回して、マルセイユは続けた。
「そんな奴等がどんなもんか、試してみたかったんだ」
 マルセイユはにやっと笑うと、自身のストライカーユニットが積まれた輸送機目指して……それが駐機するハンガーに向かって……、駆け出した。エイラも負けじと立ち上がったが、トゥルーデに押し留められた。
「何するんダ大尉?」
「奴のペースに乗せられているぞ。……どうした、サーニャの事になると普段の冷静さは何処かへ消えてしまうのか?」
「えッ、それは……」
 やれやれ、とトゥルーデは呟くと、改めてエイラの両肩をぎゅっと掴んだ。そして言葉を続けた。
「どうせ止めろと言ってもお前は模擬戦に行くんだろう。だから501の最先任尉官として、そして501の仲間として忠告したい事がある。いいか、よく聞け」

 二十分後、基地滑走路から二人のウィッチが飛び立った。無線で基地指揮所と交信を続ける。美緒が双方に呼び掛けた。
「双方、所定の位置に付いたら正対状態(ヘッドオン)から開始だ。準備飛行中のついでに、もう一度、今回の模擬戦のルール確認をする。制限時間は三分。空戦で一発でも弾を受けシールドが発動した方の負けだ。制限時間内に決着が付かない場合は引き分けだ。再戦は無し。良いな」
『了解』
『了解』
 501の隊員、そしてケイは同じく無線のインカムを聞きながら、基地のバルコニーから双眼鏡やら色々持ち出して、空を眺めていた。
「人類最高のエースがねえ……無傷のエースと戦うって、どうなる事やら」
 ケイがぼそっと呟く。横に居たミーナは苦笑した。
「お互い大変ですね。やんちゃな部下を持って」
 ミーナの年不相応な落ち着き方に少しの違和感と敬意を抱くケイ。相当な場数を踏んできたんだろう、と察するも口には出さず、ケイはミーナの問い掛けに応じた。
「そうね、あの娘はいつもあんな感じ。良くも悪くも自由で……そう言えば隊長さんは、マルセイユの事」
「私の直接の部下ではなかったから、トゥルーデ……いえ、バルクホルン大尉やハルトマン中尉程、詳しくはないです。でも、名前と戦功はよく知っていますよ。有名人ですからね」
「なるほど。あの娘、アフリカでも……」
「色々大変でしょう?」
「分かります?」
 二人の隊長は顔を見合わせると、苦笑した。
「本当、今回はうちの娘の我が儘に付き合わせてしまってごめんなさいね。後でこの借りは必ず」
 ケイはミーナに詫びた。ミーナは諦めが少々混じった笑みをもって、ケイを宥めた。
「いいえ。たまには私達の中にも、刺激を与えないと」
「そう言って貰えると助かります」
 ミーナとケイの、ほのぼのとした会話。そんな彼女達をさしおいて、美緒は指揮所でひとり、無線を使い、また双眼鏡で時折位置を確認しながらエイラ、マルセイユの双方に指示を出す。
「よし、定位置に付いたな。銃器に異常は無いか最後の点検だ。確認を怠るなよ」
『了解』
「準備が出来たら応答を。同時に正面に直進しつつ、模擬戦開始だ」
『了解、最終チェック中だ』
『こっちもダ』
「美緒……いや、坂本少佐も頑張ってるねー。いつの間にか、第二の“師匠”って感じでまた」
 ケイがそんな美緒の姿を遠目で見ながら、微笑んだ。
「えっ? み……坂本少佐に、師匠が?」
 ミーナの驚いた顔に、ケイは笑って答えた。
「まだ彼女が駆け出しのこんなちっちゃなウィッチだった頃の話なんだけどね、その時の師匠がまた……」
「こっこらそこ、余計な事を言うな!」
 インカム越しに聞こえていたのか、美緒が慌ててケイを止める。
「まーまー焦っちゃって。変な事は言わないから安心して頂戴な」
「ま、まったく……」
「あとで詳しくお話し聞かせて頂きたいものです」
 少し頬を染めたミーナに、ケイはふっと笑顔で頷いた。
「まあ彼女の事は後で話すとして……この模擬戦、どうなりますかね」
「さあ……」

「やんちゃなのは確かなんだけど、こうして501の皆さんに迷惑掛けちゃうのも申し訳無いんだけど、……だけど」
 ケイはインカムをオンにした状態で、声を大きめにしながら、“呟き”を続けた。
「そういうマルセイユ、私は大好きなのよね」
『こっこら! おい、ケイ! 皆の前でなんて事言うんだ! そう言うのは止めてくれ!』
 上空からインカムを通じてマルセイユの赤面っぷりが伝わって来る。
「これで、さっきの挑発とおあいこって事で」
 ケイはそっとミーナに耳打ちした。なる程、と頷いたミーナはご配慮感謝しますと応えた。

『……良いかエイラ。相手は仮にもカールスラント空軍(ルフトバッフェ)、いや「人類最高のエース」と言われるマルセイユだ。固有魔法は「偏差射撃」とも言われるが正確には分からん。未来視、三次元空間把握、魔弾の三種類の魔法の組み合わせではないかとも言われる程、奴の射撃技術は恐ろしいものだ。残念だが、今の私では恐らくあいつには勝てないだろう。この前見た様に、このハルトマンですら互角に持ち込むのがやっとだ』
 エイラはいつもと変わらぬ手順でMG42の点検をしながら、トゥルーデの「助言」を反芻していた。
『だが、お前には「絶対に当たらない」と言う「完全回避」の固有魔法がある。お前のその能力なら、可能性は十分に有る。良いか、絶対に負けるな』
「……簡単に勝てたら苦労はしないってカ。まァ、負けるつもりは無いけどナ」
 誰にとでもない呟きと共に、準備完了のエイラ。その旨を指揮所の美緒に伝えると、模擬戦開始の指示が出た。時間は三分。

 戦いが、始まった。

 両者正対位置から挨拶代わりに、軽く一、二発の弾丸を発射する。当然の事ながらさっと回避する。そうしてすぐに相手のバックを取る為にターン、絡み合いもつれる毛糸の如く、両者の激しいドッグファイトが始まった。的確な位置取りを目指し、マルセイユのBf109G-2/tropとエイラのBf109K4が魔導エンジンを全開にして、空を翔る。

 501の面々が揃って空を見上げる中、ぼんやりとバルコニーの手摺に肘を付き、話す二人のエース。
「どう、トゥルーデ? どっちが勝つと思う?」
「分からん。普通に考えればマルセイユだろう。何せお前と同格、いや、ウィッチとしても別格のウィッチだからな」
「まー、そうだよね」
 つまらなそうにちらっと上空を見た後、基地の眼前に広がるアドリア海に目を向けるエーリカ。先日のマルセイユとの合同作戦を、その後の“決闘”を思い出したのか、表情はどこか曇りがちだ。
 そんなエーリカの頭をトゥルーデは優しく撫でた。
「あの時の決闘、感謝してる。有り難う、エーリカ」
「あのねトゥルーデ、私はただ……」
「いいんだ。もういい」
 トゥルーデは微笑んで、エーリカの肩をそっと抱いた。
「で、答えの結果聞いて無いよトゥルーデ。どっちが……」
 エーリカはトゥルーデに寄り添う格好で、答えを聞いた。トゥルーデは言葉を選びつつ、エーリカに言った。
「そうだな……。何処までエイラがマルセイユの射撃をかわし続けられるか。勝負はそこだろう。マルセイユにしても、今まで相手にした事のないタイプのウィッチだ。初戦では特に、エイラの能力を前に焦りが出るんじゃないだろうか」
「あのマルセイユが、焦る?」
 訝るエーリカに、トゥルーデが答える。
「ウィッチは意外にふとした切っ掛けで、焦り出すものさ」
「まあね」
「私の正直な気持ちを言うと……カールスラント空軍(ルフトバッフェ)のエースとして、マルセイユには負けて欲しくない。一方で、501のエースの一人であるエイラにも、絶対に負けて欲しくない」
 ふう、と溜め息を付くトゥルーデ。エーリカはくすっと笑った。
「何だかんだで、二人共気になるんだね」
「それは……まあ」
「だから私はトゥルーデを……いや、何でもない」
「全く……」

 地上のトゥルーデとエーリカにはお構いなしに、激戦を繰り広げる二人。

 エイラは、恐ろしいまでのマルセイユの正確無比、そして未来を読むかの如き偏差射撃能力に恐怖していた。
「何でこんなに狙って来るんダ、こいつハッ!」
 未来予知を駆使しても躱しきれないのではと思いかける程……、射撃は弾数こそ少ないものの、一発一発がずしりと重い空間的なプレッシャーとして、エイラを背後から、後方から、そして側面から容赦無く追い立てる。いやむしろ最初から確実に当てに来ている。追い立てる意味の牽制射撃など皆無で、全てが確実に致命的な部位を貫く様な射撃。背後のプレッシャーだけで追われ、更に止めの鋭い一撃が飛んでくる。それだけ相手の腕は確かだ。
 その都度、エイラは身を捩って、針の穴を通すが如き精度、襲い来る圧力と弾丸を避けながら、反撃のチャンスを伺う。翼端から糸を引く高速旋回から唐突な高Gロール、横滑りまでを無意識に織り交ぜる機動を駆使し、シャンデルで反撃を伺うも、相手の空戦機動も大したものですぐに背後に回られる。逃げる余裕が次第に失われていく感覚。それでもエイラは、固有魔法から得られるおぼろげな将来の“イメージ”と本来持つ天性のセンスをミックスさせ、回避を重ねる。
 脚を交互に動かしてのロールだけでは物足りないのか、舵面と逆に動かす事で見た目と異なる動きすら交えて一見複雑で、それでいて美しいまでの極限ぎりぎりの回避。エイラの本能か身体能力か固有魔法か或いはそれらのミックスか、そう言った見事なストライカーユニットの使い方、飛び方で、機動を続ける。
 試しに、後ろにだらりと流し持った状態でMG42を数発撃って牽制してみるも効果は無い。着実に、狙いが定まるのを肌で感じる。MG42を構え直す。エーリカとやる模擬戦と同レベル、いや、狙われると言う意味では更に恐ろしい程の、正確さ、そして空間把握能力。エイラは時折飛んで来る銃弾をギリギリ紙一重で幾度となくかわし、魔導エンジンに魔力を注ぎ込み、飛び続ける。

 一方のマルセイユは、表面的には冷静さをアピールしつつも、何故か掠りもしない弾丸にまず驚き、そして間も無く、相手のウィッチが何かしらの能力(チカラ)で、全て避けている事に驚愕していた。
「何だ、こいつ……」
 一発も、当たらない。
 愛用の武器MG34はセミオートとフルオートを撃ち分けられる。元々精密射撃、偏差射撃で殆ど弾丸を浪費せずネウロイを屠ってきたマルセイユにとってはなかなか優れた武器だった。しかしいざ模擬戦となり、何度狙いを定めて正確に撃っても、極々軽い上等な羽毛を掴もうとした時に手を近付けると逃れてしまう……そんな様を思わせる動き。まるで弾よりも奴の方が軽く、このMG34の弾丸が鈍重に空気を掻き分けているのかと当たり散らしたくなる気分。額ににじむ嫌な汗、こんなの初めての経験だ。模擬戦開始からこれまでに発射した弾数を数える。
 確実に追い詰めてはいる。その筈だ。普段のマルセイユなら、相手のちょっとした動きから、狙いを定めて着弾位置まで予測出来る程の感覚を有している。今もそう。その筈なのに。……当たらない。
 機動そのものでも確実に「回避する為の機動の余地」を奪っている。しかし牽制では無い、必中の射撃は悉く当たらない。MG34に問題は無い。そこに来ると確信する位置に、思った通りの弾道で思った通りのタイミングに音速の2倍で弾丸を送り届ける。にも関わらず、其処に奴は居ない。しかも必ず。
 ……何故外れる? 単純に固有魔法(チート)の力か? たまたまのラッキー? いや、そんな偶然がそう何度も繰り返される訳がない。ならばそれ程に、相手の総合的な回避能力とは優れたものなのか? もしや機体と空気(気温)の差? いや違う、向こうはスオムス出身でアドリア海での戦闘、こちらはカールスラントからノイエカールスラントを経ずにアフリカ戦線、条件にそんな差が出る訳じゃない筈だ……。マルセイユは自問自答を繰り返す。だがしかし、何度狙って撃っても答えは出ない。
 ……面白い。絶対に勝って、あのオラーシャのナイトウィッチをアフリカにお持ち帰りしてやる。オラーシャも確か大半をネウロイに奪われてる筈、なら(もっと状況が深刻な)カールスラントの私が彼女を連れていっても何の問題も無い筈だ! ……そう気張ってはみるものの、しつこいまでに回避を繰り返されると、野望はおろか、自身の腕にすら、少々の疑問が出てくる。
 舌打ちをすると、マルセイユは更にエイラを追い立てるべく、ストライカーユニットに魔法力を注ぎ込んだ。

 双方はもつれ合ううち、徐々に高度を失いつつあった。やがてどちらからとでもなく、ゆるゆると上昇機動に転じた。そうして暫く高度を稼いでから、またも激しい一騎討ちへと突き進む。

 先程のマルセイユの舌打ちをノイズ混じりに聞いたのか、ケイがちらりと空の一点を見やる。……のめり込み過ぎなければ良いのだけど、とマルセイユを案じるケイ。しかし見た感じでは、マルセイユ優勢のまま勝負は進みつつあった。
「ユーティライネン中尉、かなり追われてますね」
「でも、マルセイユ大尉も決め手に欠けますね」
 ケイとミーナは上空の空戦を見ながら、ぽつりと呟く。既に模擬戦開始から二分が過ぎている。このままだと時間切れとなり勝負は引き分けとなる。

「ふむ。エイラにしてはよく凌いでいる」
 美緒が空戦の模様を見ながら感心する。思わず本音に近い呟きを漏らす。
「ハルトマンとの時とは違って、また見応えがあるな……」

「エイラさん、少しは反撃されたらどうですの?」
「ペリーヌさん、多分エイラさんは逃げるので精一杯なんじゃ」
「えっ、でも芳佳ちゃん、エイラさんの事だから、何か秘策でも」
「えっ、そうなのリーネちゃん?」
「エイラさんに秘策? どうかしら……」
 ペリーヌとリーネ、芳佳は三人で揃って空を見上げていた。

「見て見てシャーリー。エイラ凄いよ、本気出してる」
「ああ。あのマルセイユ相手に一歩も退かないとは、なかなかやるなー」
「あたし、鬼ごっこで負けたしー」
 アフリカでの出来事を思い出して苦々しい顔を作るルッキーニ。あははと笑ってあやすシャーリー。
「ま、あいつもあいつなりにプライドが有るだろうから、何とかなるだろ」
 楽天的に、後ろ手に腕を組み、空を見上げた。

「どう思うエーリカ。エイラの機動は」
「流石『当たらない』ってだけあるよね。私も模擬戦じゃ当てるのに苦労するからさ、エイラ相手だと。マルセイユの気持ちも少しは分かるよ」
 それを聞いたトゥルーデは、ふふっと笑った。そしてエーリカに言った。
「まあな。絶対に当たる筈の弾を完璧に避けてしまう。それが良くも悪くも、あいつの凄い所だ。ただ……」
 トゥルーデは心配そうに空を見上げた。
「このままだといずれは時間切れだ。二人はそれを『良し』とするだろうか?」

「エイラ」
 サーニャはただ、エイラの身を案じていた。自分の事などどうでも良い。だけど、大切なエイラがムキになって模擬戦をやるなんて……それが切っ掛けで怪我や事故でも起きたら、と思うと、心が張り裂けそう。
 だけど。
 エイラには、負けて欲しくない。そう言う気持ちも混ざり合い、うまく言葉が出てこない。
 だから、彼女の名を、呼ぶ。

 そろそろ時間。このまま逃げ切れば勝負は「引き分け」となり全てが終わる。ただ、エイラは研ぎ澄まされた身体感覚を駆使する中で、考え続けていた。
 ……撃たれ続け、全てを避けるだけで、果たして良いのか? 時折反撃も加えるが、流石「人類最強」と言われるだけあって一筋縄では行かない。ならばどうする? どうしたい?
 ふと、スオムスに居た頃を思い出す。訓練がてら、ストライカーユニットを履いて空を飛んだ頃の事。無邪気に鬼ごっこする感覚で、相手を捉えようと必死に魔導エンジンを吹かした頃の事。厳しい戦いの中、それなのに、仲間と一緒で楽しかったあの頃……
 そう、あの時……。そう、それだ。

 エイラは本能的に身を翻すと、がむしゃらにエーテル流を掻き分けるのを止めて、峻烈な頂に立つ程の勢いで加速し急上昇した。マルセイユも負けじとハイGバレルロールで身を捩り、真後ろに付く。

 ウィッチのストライカーユイット装備重量に対して大推力を絞り出す魔導エンジンは垂直上昇でも完全に失速する事は無い。しかし、運動エネルギーが位置エネルギーに変換されるその全てを補填する事は出来ない。平衡点に向けて漸近線を描く速度……その瞬間が訪れた時こそ、決着のとき。
(このまま急上昇を続けても、いずれ失速する。諦めたか)
 マルセイユは間も無く訪れるであろうチャンスを待ち、MG34を構えた。

 刹那。
 エイラは不意に上昇から急下降に転じた。突然の停止、そして墜落にも似た落下。
 極端に不安定な挙動だが、エイラはそんなのお構いなしにMG42を構えて居た。
 確実にマルセイユを狙っている。

 エイラの挙動はマルセイユの意表を衝くものだった。トルクと舵面と体技のなせる技なのか? そうすべきだとの未来を視たからなのか? その過程は解らない、だが現実に、そして全く唐突にエイラは静止し、急降下に転じた。一見航空力学を無視したかに見える挙動に照準が追いつかない。
「ハンマーヘッドターン? いや、ストールターンか!?」
 マルセイユは思わず声を上げた。
 推力軸線と機動が全く合わない不安定な姿勢にも関わらず、エイラはMG42を構え、マルセイユを狙っていた。無理な構え直しはせず一見無造作な構え、それはしかし、射線上にマルセイユが入る瞬間が視えているが故の自然体。マルセイユにはそれが解った。
 咄嗟に「回避機動」を行わざるを得ない。マルセイユにとってはある意味屈辱でもあった。そして照準しなおして今度こそ確実に捉え得る網を投げかけるべく、トリガーに指をかける。

『そこまで! 両者射撃止め!』
 凛とした美緒の声が両者のインカムに届く。

 ぴくり、と動き掛けた指先を玩びながら、マルセイユはゆっくりと落下してくるエイラを見た。途中でバランスを立て直したエイラと、空中でホバリングしつつ、相対する。

「何だ、今のは」
 マルセイユの怪訝そうな、そして少々むっとした顔に向かって、エイラはニヤッと笑って言った。
「思い出しただけサ」
「何を」
「こう言う遊びも必要だって事をナ」
「何、馬鹿な事言ってるんだ……501は本当、おかしい奴ばかりだな」
 呆気に取られ、マルセイユは軽い皮肉を言うのがやっと。
「そうでもないとここではやっていけないゾ。あと、サーニャはやらないからナ」
「分かったよ。……そう言えば、ちゃんと名前を聞いて無かった」
 マルセイユはエイラと同じ高度に顔を合わせると、問うた。
「私はエイラ・イルマタル・ユーティライネン。あんたの事は知ってるヨ、マルセイユ大尉」
「ユーティライネンか。ああ、思い出した。501には『完全回避』のウィッチが居るって聞いた事が有るが、あれは君か」
「実戦でシールドを使ったのは今まででたったの一回だけだからナ。そこらのウィッチと同じにするなヨ?」
 えっへんと誇らしげなエイラを前に、合点が行った様子のマルセイユはそうか、と頷いた。
「なるほど、当たらない訳だ」
 どんなに追い詰めても当たらなかった。大した奴だと、マルセイユは戦いを振り返った。そしてもうひとつの事実を思い出し、口元を歪め、呟いた。
「ま、常時優勢にあったのは私の方だけどな」
「結局一発も当てられなかったのにそんな事言うカ?」
「それは痛いツッコミだな」
 いつしかエイラもマルセイユも、銃器を背負って互いに笑っていた。

 そんな二人の声を聞いた地上の仲間達は、色々な意味で安堵した。

「今度は、冗談抜きでアフリカまで遊びに来てくれ。歓迎するよ」
 帰りのJu-52に乗り込む際、マルセイユは名残惜しげにサーニャに声を掛けた。
「しつこい奴は嫌われるゾ?」
 サーニャの前に立ち塞がり、頬を膨らませるエイラ。
「いや、ウィッチとしての戦力でなく、純粋な観光でも構わないって事だよ。余裕はないけど、歓迎するぞ。ユーティライネン中尉も是非来てくれ」
 マルセイユはエイラにも声を掛けた。
「ホホウ、そりゃドウモ。でも暑いのはちょっとナ」
「『住めば都』ってね。ここ程恵まれてはないが、なかなかいいとこだ」
「今度、考えておきます……」
 サーニャはぽつりと呟いた。マルセイユはそれを見込みアリと思ったのか、ふっと笑みを浮かべる。
「おいサーニャ……」
「エイラと、二人で」
「えッ?」
 サーニャの言葉を聞いたエイラは驚き、マルセイユは参ったとばかりに顔に手を当て、笑った。
「これはまた失礼した。……分かった、二人で一緒に来ると良い。歓迎する」
「有り難う御座います」
「ありがとナ、マルセイユ大尉」
 タラップを乗りかけたマルセイユは、エイラに近付くと耳元で何か囁いた。それを聞いたエイラは耳を真っ赤にして
「大きなお世話ダ!」
 と怒鳴った。マルセイユはひとしきり笑ったあと、
「じゃ、そう言う事で。面白かったよ。また」
 と別れを告げると、ゆっくりタラップを上がり、“ユーおばさん”のコルゲートの奥へと消えた。

「良いの? カールスラントの仲間に挨拶しなくて」
 先に乗り込んでいたケイに問われ、マルセイユは座席にもたれると、首を振って答えた。
「あのシスコン石頭は相変わらず。ハルトマンも相変わらず。ヴィルケ中佐も変わらずってとこだった。特に何も。まあ、少し安心したが」
「なら良いんだけど」
「それに、501(ここ)にはまた近いうちに来る様な気がするんだ」
「その予感、当たりそう?」
「さあ。どうだろう」
 ケイは窓の外を見た。501の隊員達が手を振って見送りしている。マルセイユは適当に手を振って応えた。ケイは懐からライカを取り出すと、記念に数枚撮影した。
「ストライクウィッチーズ、ストームウィッチーズの双方に幸あれ……ってとこかしらね」
 ケイも皆に向かって手を振った。間も無く扉を閉めた輸送機はタキシングを始め、ゆっくりと滑走路から離陸し、基地を離れた。
 マルセイユは、腕組みしたまま何か考え事をしている様だった。ケイは聞いた。
「そう言えば、ブロマイドにサインの罰ゲームは?」
「勝負では負けてないんだし、する必要ないだろう」
「でも、勝ってもいないわよね?」
「そりゃ、まあ……」
 ケイはふふっと笑い、マルセイユに声を掛けた。
「あら。珍しく、マルセイユにしては歯切れが悪いこと」
「扶桑のウィッチは嫌味もきついな」
「ま、良いけど」
 ケイは知っている。帰り際マルセイユがこっそり、ミーナに一枚のサイン入りブロマイドを託した事を。誰宛てに……とは特に言わなかったが、受け取るに相応しき人に渡り、きっと有益に使われるだろう。相手がミーナなら、安心出来る。
「ともかく、もうあんな無茶しちゃダメよ、マルセイユ。あと挑発もあんまり……」
「分かった分かった、少し寝かせてくれ、疲れたんだ」
「はいはい」
 ケイは苦笑すると、ブランケットを取り出してそっとマルセイユに掛けた。微笑んで、マルセイユは緩い眠りに就いた。

 “嵐”が去った夜。サーニャはベッドに横になり、タロットをめくるエイラに声を掛けた。
「ねえエイラ」
「どうしたサーニャ?」
「エイラが今日模擬戦やったのって、……やっぱり私の為?」
「あっ当たり前ダロ!?」
 顔を真っ赤にするエイラ。サーニャは続けて問うた。
「他に理由は?」
「それは……もう何だって良いじゃないカー!」
「最後にマルセイユさんは何て?」
「内緒ダゾ」
「ずるい。教えてくれないと私一人でアフリカ旅行に行くよ?」
「それはダメダナ」
「もう、エイラったら」
 サーニャはタロットに手を伸ばしたエイラの手を取った。そのままそっと、唇を手に這わせる。
「有り難う、エイラ」
「べ、別に……私ハ……」
 勝てなかった。でも守りきった。そんな敗北とも勝利ともつかぬ曖昧さ、何よりの安堵感、そして今も横にサーニャが居る事を、エイラは喜んだ。サーニャの為なら。エイラはそっとサーニャを抱き寄せ、二人だけの時間を楽しんだ。

end


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