無題


 憧れている、ばかりだった。レコードは擦り切れるくらい聴いた。私を護るための鳥籠、薄暗い部屋の中で彼女の
綺麗な声ばかりが、私の世界の全てだった。

 彼女はウィッチなのよと、私の世話役は語った。幼い頃から音楽の才能を認められ、その道を澄んだ瞳で見つめて
いた彼女は、このレコード一枚を残して空を飛ぶことに決めたのだと。神がもしこの世にいるとしたらそれは祝福な
のかそれとも重荷なのか、私にはわからない。ウィッチとしての能力がなければ、こんな絶望的な世界の中でも自分
の望む道を細々と進むことができたかもしれない。しかし天が彼女に与えた二物は、相反するものだった。

 ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ。今や世界中で、彼女の名前を知らない人のほうが少ないのではないだろうか。
ただしその名声は決して、声楽家としてのものではなく。
 伝説の魔女─ストライクウィッチーズの隊長にして、カールスラント空軍きっての優秀なウィッチ、つまりは軍人
としての、ものなのであった。

 ガリア開放と同時に第501統合戦闘航空団が解散と相成り、そこに所属していたカールスラント空軍のウィッチ
3名がここサン・トロン基地にて第1特殊戦闘航空団を結成したのが、確か一年ほどほど前のことだったか。そこか
ら、ロマーニャでの501の再結成とネウロイ撃退を経て2週間ほど前、再び彼女らはカールスラントに戻ってきた。
夜間戦闘航空団にいた私がそこに合流したのが、今日付けの話。

「紅い瞳をしているのね」

 唐突にかけられたのは、そんな言葉だった。声がかけられるとは思っていなかった私は、ビクリ、と肩をびくつか
せる。手に持った備品を取り落としそうになるほどだったことには、さすがに気づかれていないだろうか。そうだっ
たらいい。そうでなければ困る。
 なるたけ平静を装ってそちらを見やる。明かりのつけていない薄暗い備品庫の中は小さな窓から差す西日だけが
たったひとつの光源で、けれどなぜだろう、彼女にいるその場所が、ひどく眩しく思えるのだ。


 はい、と小さく返すことがやっとだった。それも消え入りそうなくらいの弱々しさで。だって声を掛けられるとは
思っていなかったのだ。ここにこうして私と彼女がふたりでいるのも、彼女が備品の受け取りを行なっているのを
見かけた私が、半ば押しかけるように彼女の行動に付き添ったからに過ぎない。目を丸くして驚いた様子をしていた
彼女は、けれども私の行動の意味を推し量ったようで「ありがとう」と微笑んだ。そのときも今に至るまでも、会話
らしい会話などしていない。それでいいのだと、そう思っていたから。いざ話しかけられても一体何を答えればいい
というのか。私と言葉を交わすことで彼女がいったい何を得するというのか。考えても答えなどない。むしろ必要
ないのだと思っていた。

「きれいな色だわ」

 彼女は続ける。私とよく似た色の瞳で、私をじっと見つめたまま。吸い込まれそうなその紅に、私はただただ立ち
尽くしていることしかできなくなる。

 だって、私はこの人に、ただただ憧れているばかりだったのだ。ずっと、ずっと。

 出会いは子供の頃だった。私がまだあの薄暗い部屋の中にいた頃だった。陽の光の下にいることができなかった。
真っ白い髪と、真っ赤な瞳。何もかもが他の子どもと違って、異質で。いつも何かに後ろ指をさされているような
気持ちで生きていた。人には見えないものが見える、どう比べても他の人と違う私。
 一言で言い切ってしまえばたぶんそれは孤独というもので、だけれども幼い私はだからといってどうすればいいの
かもわからないくらいに脆弱で。だから鳥籠の中に入って鍵を厳重に閉じていた。薄暗い部屋の中で一人ぼっちで
いた。与えられる本やレコードが私の世界で、私の友達だった。
 中でも擦り切れるくらいに聴いたものが、ミーナという少女の歌声を収録したものだ。少女と言っても彼女の声は
すでに大人のそれと比べても遜色のない美しさを誇っていて。針をのせる度に何度でも繰り返してくれる私のため
だけのコンサートは、幼い私の心をこれ以上なく癒してくれたのだ。

「私と、おんなじね」

 そんな、出会いとも言えない出会いのことに思いを巡らせている私のことなどいざしらず、彼女は続ける。ああ、
やっぱり綺麗な声。それだのにどうしてだろう。私の目の前にいるその人は、決して華やかなドレスをまとっている
わけではなく。彼女も、そして私も、身を包んでいるのは軍服─戦装束なのだ。

 彼女はウィッチではないかしらと、教えてくれたのは家を出て入れられたウィッチの養成機関の世話役だったと
記憶している。好きなものはとの質問に、ミーナという歌手が好きですとようやく答えた私に世話役は一度首を傾げ
たあと、同じ名前のウィッチがいるよと言った。音楽の名家の出だったような気がする、そういえばレコードの一枚
や二枚出していたかも、と。

 あなたもウィッチになるんだから、もしかしたら会えるかもしれないわね、いつか。そう笑った世話役に対して、
私はなんと答えたのか、実はよく覚えていない。それでもきっと、今この瞬間と同じような気持ちになったのでは
ないかと、そう思うのだ。
 そう、いまこうして、このサン・トロン基地で、ふたりきりで彼女と相対しているこの瞬間と。だって泣いていい
のか笑っていいのか、よくわからずにいるのだ。柔和な笑顔で語りかけてくる彼女に、そうですねの一言すら返せず
に固まっている。西日を浴びているのは彼女の方で、私は暗がりにいるというのにどうしてだろう、私の顔ばかりが
熱くなっていますぐにでもそむけてしまいたいと思うのだ。それだのにそれをすることはできない。だって、あの
ひとの瞳が私を捕らえて離さないから。

 そう、いつのまにか私もウィッチになって、いくつもいくつもネウロイを墜として。
 昇格を重ねて、少佐になって。気がつけば彼女に手が届く場所に来ていた。けれど未だに実感がわかない。あれ
ほど憧れたあのひとが、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケそのひとが、こうして目の前にいて私の目を見て私の姿
についての言葉を発しているだなんて。

「ヴィルケちゅうさの、ほうが」
 たっぷりの沈黙も、ミーナ中佐は苛立つ素振り一つなく待っていてくれた。ああ、やっぱり素敵な人だわ。声ばか
り、噂ばかりだった彼女の印象が、またひとつ美しく彩られていく。一年前は、こんなことになるだなんて思いも
しなかった。同じ国で生まれて同じ国でウィッチになって、けれども届くはずなんてないと、彼女の瞳に私が映る
ことなんてないと、そう思っていたのに。
「…私のほうが?」
「…なんでも、ありません」
 続きをうながされたのに、私はどうしてか、その続きを口にすることは出来なかった。その続きを考えただけで
どうしてか涙がこみ上げてくる。

 あなたのほうがずっと、ずっと、きれいですだなんて、そんなこと。

(私はサーニャ。第501統合戦闘航空団の、サーニャ・リトヴャクです。)
(第501統合戦闘航空団って、あの、ミーナ中佐の?)
(そうです)

 遠くて近い、ナイトウィッチの友人と始めて通信越しに会話を交わした時のことが不意に記憶に蘇った。サーニャ
と名乗る彼女はその当時ブリタニアにいた。どこの所属ですかと尋ねたら、今は第501統合戦闘航空団にいると
語った。ごーまるいち。耳に取り付けたインカムから流れてきたその単語に、そういえば私は心をびくつかせたのだ。
憧れの人と同じ部隊に所属する友人がいる。一年前はたったそれだけのことでも心が踊るくらいだったというのに。

 どうしたことだろう。いまはこんなにも近くにいる。心臓が情けなく高鳴っていることに、感づかれていやしない
だろうか。そんなことが心配になってしまうほどに。

「ねえ、ハイデマリーさん。あなた歌をよく歌うって聞いたのだけれど。」

 手を伸ばせば届く場所にいる彼女が、私の名前を読んでそんな言葉を言う。それは私についての噂で、ああそう
いえば夜間哨戒の時、気分が良くなって鼻歌を口ずさむことが稀にあった。けれどそんなこと、私は誰に言った覚え
も、誰かに言って欲しいと頼んだ覚えもない。…調べていてくれたというのか。同じ基地で、同じ部隊で、しばらく
過ごすことになるぐらいの私のことを。
 …いや、もしかしたら彼女にとってみたら、それはとてもとても大事なことなのかもしれなかった。

 はい、とまた、小さな小さな声で返す。それだけなのに彼女はひどく満足気に微笑んでくれる。

「今度聞かせてちょうだいね?そうだ、一緒に歌いましょうよ、私歌うことがとても好きなの」

 その上、その人ときたら私の幼い頃から願ってやまなかった願望をいともたやすく口にしてしまうのだ。そうして
私はようやく実感する。私の幼い頃に憧れた、あのレコードの歌声の主と、今後して目の前で柔和な微笑みを浮かべ
ているその人が、同一人物であるということを。

 面と向かった憧れの彼女が、もしも実際は尊敬に足らないような人物であったなら。心のどこかで怖れていた展開
はいい意味で裏切られる事になってしまった。話せば話すほど、理想通り、いやそれ以上に素敵な人物であることを
思い知らされる。かと言って、あなたにとてもとても憧れているんですだなんて、きっと私には到底言えないのだろ
うけれども。

 それでも、想いが届く日なんて来なくても、彼女の瞳の端に私が映るのなら。それだけでも幸福なことだと、思っ
てやまない私がいるのだ。

「手伝ってくれてありがとう。そろそろ行きましょうか。」
 彼女が微笑んで私を促す。夕食の用意はバルクホルン大尉がしてくれているはずだわ。一緒に食べるでしょう?
当たり前のようにそんな言葉をかけてくれる。

「さあ、ハイデマリーさん。…それと」
 立ち尽くしているばかりの私を促すように背中に手を回して、促して、そして。


「私のことはミーナで構わないのよ?」


 そう言って笑いかける顔は、私が今まで見た誰の、どの笑顔よりも美しくて愛らしくて、涙が出て来てしまいそう
になる。私はもしかしたら、今この瞬間のためにウィッチになったのではないかとさえ考えてしまう。

 ミーナ中佐。
 先に行っちゃうわよ、といたずらっぽく呟いて歩を進める彼女を慌てて追いながら、心のなかで彼女に呼びかける。
胸が温かくなる。今すぐは無理でもそのうち、私は彼女をそう呼びかけるようになるのだろう。だって今日から、
私はこの基地で、この部隊で、彼女と一緒に過ごすのだ。

 ああ、けれどもきっと。呼びかける度に去来するこの胸のあたたかさには、何時まで経っても慣れないのだろうと、
そんなことを考えた。


おわり


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