Blood and tide
「ブリタニア空軍所属、アイザック・デュ・モンソオ・ド・バーガンデール少尉、着任の報告に参りました」
「長旅、お疲れさまでした。私が506JFW隊長、ロザリー・ド・エムリコート・ド・グリュンネです。これから同じ506として、よろしくお願いしますね」
「はい。以後、よろしくお願いいたします」
握手を交わしながら、ロザリーは目の前の人物を観察した。中性的で端正な顔立ちに、短く整えたライトブラウンの髪。狩猟コートを身にまとい、ハンチング帽を左手に持つ姿は、軍人らしからぬ気品を漂わせていた。まぁ、これは既にこの基地にいる他の二人の部下にも言えることではあるが。
「基地内の設備の場所は大丈夫ですか?」
「宿舎には今、荷物を置いてきたところです。それ以外はまだ……」
「では、夕方に一通り案内しましょう。それまで、自室で休んでいてください」
「ありがとうございます。では、これで失礼いたします」
敬礼の後に、アイザック少尉が退室する。
執務室の椅子に座りなおしたロザリーは、その落ち着いた態度とは裏腹に、内心で激しく沸き起こる疑問符に苛まれていた。そう、その疑問とは。
――アイザックさんは……女性の方? それとも、男性の方なんでしょうか……!?
ロザリーは頭を抱えた。
Blood and tide
「――と、いうわけなんですが」
午後三時のティータイム。
ブリタニア軍に所属していたロザリーにとってはおなじみの習慣だが、普段は執務室で一人、お茶を楽しむ程度に留めている。今のロザリーの立場は、506の名誉隊長。隊の規範となるべき人物が毎日、三時にお茶とおやつを並べて寛いでいるというのは、いかにもまずいと考えたためだ。
しかし今日はあえてその自戒を破り、スコーンなどを執務室のテーブルに並べている。なぜか、と言えば、一種の口実作りで、部下二人をティータイムに誘い、どうしても相談したいことがあったのだ。
が、
「ほぅ」
と、応じるのは、506の戦闘隊長を任ずるハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタイン大尉だ。長い金髪に碧眼の、いかにも貴族然とした美しい少女で、実際に名家の出身である。仕草の一つ一つが上品で、スコーンをついばむ姿さえ絵になるのだが、お菓子に夢中になるさまは素直に愛らしい。
「へぇ」
と、答えたのはアドリアーナ・ヴィスコンティ大尉で、こちらもロマーニャの伝統ある家系の出身である。赤毛を肩で揃えた長身は、どこか猫科の大型獣のようで、ソファに腰掛けて寛ぐ姿は、まるで木陰でまどろむ豹を思わせた。
ロザリーは気付いた。二人とも、リアクションが薄い。
「え……気になりませんか? アイザックさんが男性のかたか、女性のかたなのか」
「別に気にならんのう」
「右に同じ」
ロザリーは困惑した。あまりに反応が薄い。これは相談する相手を間違えた予感がする。
「グリュンネは気になるのか。アイザック少尉の性別が」
ハインリーケが逆に意外そうな顔で問うてくる。うわぁ、これは本当に気にしていない顔だ、とロザリーは戦慄した。
「き、気になります……だからこうして相談に乗ってもらっているわけで」
「ふうむ」
「二人は、その、アイザックさんが男性だったらどうしようとか思わないんですか……?」
「わらわが部下のあやつに求めるのは、有能であるかそうでないかの一点じゃ。男か女かで付き合い方は変えん」
「ハインリーケはそれでいいんでしょうけれど」
「私は可愛ければ美少年でも美少女でも構わんと思うのだが」
「すみませんアドリアーナ。その境地には私、至れません」
ふぅ、と嘆息をひとつ。
「私の立場としては、男性の方なのか女性の方なのかで、部屋割りとか、お風呂とか、色々考えなくてはなりませんし、結構切実なんです」
「なるほど、確かにそれはあるのう。さすがのわらわも男と一緒の湯船につかるのは御免被りたいところじゃ」
逆に言えば、それくらいしか気がかりが無いと言うことだろう。ハインリーケのこの様子に、ロザリーは逆に自分の方がおかしいような気がしてくる。
いや、基本的に女性のみで構成された集団であるウィッチの部隊に、男性が来たのかもしれないのだから、もっと気にしていいはずなのだ。ハインリーケが浮世離れしすぎなのである。
「しかしだね隊長殿、歴史上魔力を持つ男性が存在したというのは記録に残ってはいるが、現代において、ウィッチとして実戦で通用するレベルの魔法を扱える男児の報告例は無いんだ。普通に女性ではないかな? 確かにアイザックと言うのは男性名で、普通女児に付けるものではないが……まぁ、名付けのルールは法律で決められているわけではないし、そういう事もあるだろうさ」
と、アドリアーナが結論付ける。そうなのだ、基本的にウィッチは、女性である。これが原則だ。ゆえにアイザックも女性なのだろう、とは思うのだが。
そこにハインリーケが反論する。
「ヴィスコンティよ、前例が無いからと言って、それが絶対に無いとは言い切れんぞ。万が一というやつが実際に起こることもあるじゃろう。第一、この506に来たと言うことは、あやつも貴族の血筋に連なるもの。ならば名は重大な意味を持つ。親があえて異性の名を付けるかは疑問じゃぞ」
「まぁそれはあるがね……うーん、服も長丈のズボンだから、男性用のような女性用のような、絶妙に微妙なところで、本人が自分の性別をあえて解り難くしている感じもあるのがちょっと引っ掛かりはするな」
「でしょう。そうでしょうアドリアーナ。やはり気になるでしょう」
「正直さっきまで気にも留めていなかったが、一度疑問に思うと確かめたくはなるな」
「剥けば済む話ではないかの」
「よし」
「いや、やめてくださいね?」
そんな事をしてしまったら、メンバーが揃いつつある506から早速欠員が出てしまう。
「そういえば隊長殿の立場なら、経歴書の類くらい閲覧出来るのではないかな? それを見れば早いと思うのだが」
「……実は、もう見てはいるんです。ただ……」
ロザリーは傍らに置いておいた封筒から、本人直筆の経歴書を取り出す。名前や性別、誕生日、出身地と簡単な経歴が書いてあるだけの簡素な書類で、一般隊員でも閲覧自体は可能なレベルのものだ。テーブルの上に、他の二人に見えるように置く。
「……一度『Isaac』と書いてから、訂正して『Isabelle』と書き直してあるな。イザベルね……本人は確か、アイザックとしか名乗らなかったが」
「性別欄も見てみろヴィスコンティ。ここも一度『Male』と書いた後、『Female』と直してある。普通人間、性別の項目なんか書き間違えそうにないものじゃが」
「名前だってそうさ。これはいよいよ解らないな」
場が沈黙に陥る。二人がこの疑問に大して乗り気になってくれたのは助かるが、答えが出る気配はない。
「というか、グリュンネよ。本人に訊けばはっきり解ることであろう」
ハインリーケが、何気なく核心を突いてきた。ロザリーだって、それが一番早く、確実であることくらい自覚している、のだが。
「それはそうなんですが……ご本人に、男性ですか? 女性ですか? と訊ねるのは、なんだか失礼な気がして……」
「それはどうかな、隊長殿」
アドリアーナが、そう意味深に囁く。
「……アドリアーナ?」
「こうして本人の居ない所で好き勝手詮索する方が……余程無礼ではないかな」
ロザリーは、はっとなった。そうだ、こうして他人の事情をよってたかって暴こうとするこの行為こそが、何よりの不義理なのではないか。自分は知らず知らず、そんな配慮に欠けた振る舞いをしてしまっていた……!
「目が覚めました……! そうですね、私、直接訊くことにします! 丁度この後基地の中を案内する予定ですし!」
「そうするのがよいぞ、グリュンネ」
「幸運を祈るよ」
「はい! それでは少し早いですが、行ってきます!」
晴れやかな気分になりながら、ロザリーは執務室を出た。きっとアイザックは自室にいるはず。予定の夕方には早いが、善は急げというし、早期決断、即行動だ。
そんな想いを胸に、ロザリーは宿舎の方向へ歩き始めるのだった。
主のいなくなった執務室の中で、残された二人の間には、
「……ちょろい……」
「ちょろ可愛いね」
「正直、あれで成人後もやっていけるのか不安なのじゃが」
「今は私たちで守ってあげればいいさ、姫。その後は、信頼できる誰かに任せればいい」
「うむ」
そんな会話があったのだが。
ロザリーは知る由のないところである。
「いやぁ、話には聞いていましたが506の基地はやはり豪華ですね。元いた基地とは大違いです」
「ここまでお金をかける必要はないと何度も言ったんですけれどね……司令部には変に気を遣っていただいて申し訳ないと言いますか……」
基地内の案内が済んだ後、ロザリーは執務室にアイザックを招き、お茶を淹れて休憩することにした。使った茶葉はロザリーは手ずから買ってきたもので、少し香りの強いものなのだが、アイザックには好評なようでなによりだ。
ロザリーはティーカップの中身を一口含み、
――結局訊けませんでしたぁぁぁぁぁあ。
決して表情に出さないまま懊悩した。
「それでは僕はこれで失礼しますね。お茶、ごちそうさまでした」
そう言い、アイザックが席を立ちかけたのへ、
「ま、待ってください!」
自分でも驚くほどの声量で、思わず呼び止めてしまった。
――はっ!? 私ったらなにを……!
「? どうかしましたか?」
アイザックの怪訝そうなまなざしが痛い。まずい。流れ上、やっぱりなんでもありませんでしたと流すのは不可能だ。かといって他の適当な話題を振って誤魔化そうにも、なにも思いつかない……!
これは、もういくしかない。
ままよ。
「アイザックさんは……男性のかたなんですか女性のかたなんですか!?」
――あぁ……!
ついにやってしまった。絶対に変な人だと思われた。
隊長としての威厳、人望、そして個人としての信頼関係……そういったものが音を立てて崩れていくような気がした。
ロザリーがそんな悲嘆に心をのまれかける。しかし、とうのアイザックはといえば、びっくりしたような表情になったのも一瞬。逆に、ああ、と納得したような顔になり、
「ああ、申し訳ありません隊長! 僕、ついいつものクセで……」
「?」
「ちょっと、ご説明しますね」
席を立ちかけていたアイザックが、椅子に座りなおす。
「結論から言うと、僕はちゃんと女の子です。本名もアイザックでなくて、イザベルといいます。ただ少し事情があって、男の子として育てられた頃がありまして」
「男の子として……?」
「ええ。僕はバーガンデールという家の一人娘なんですが、このバーガンデール家というのはこれまでウィッチを出した事の無い家系なんです。ですからまぁ、僕がウィッチである事が判ったときに、親が大慌てしたらしくて。このままでは娘が軍にとられてしまう! とね。軍人の家系というわけではないですし、かといって自分の子供に万が一があったときの対策もしていませんでしたから」
「なるほど……」
「ですのでまぁ、こう考えたわけですね。男の子と偽る事で、軍の目を誤魔化そう! と」
「え、えぇ?」
「いやまぁ、自分で言ってても変な話だなとは思うんですが、事実でして。実際、僕は物心つくかつかないかぐらいの年齢から、男の子の名前と、男の子の服を与えられて、男の子として振舞うようになりました。まぁ、それも空しく今僕はこうして軍にいるわけですが、おかげで男の子のフリをする必要ももうありません。けれど何年もそうしていたせいで、未だに男の子の時の名前――アイザックを名乗ってしまうんですよね」
直そうとは思うんですが、とアイザックが微笑みながら言う。
その表情からして、アイザック――いや、イザベルと呼ぶべきか――が、その過去自体を重荷に感じているようではない、とロザリーは直感した。しかし、陰が無いわけではない。その過去がイザベルの心の中で、小さな、しかし濃い陰を作っているように思えた。
その考えが頭の中に生じた直後、ロザリーは、無意識のうちにテーブルの上のイザベルの手に、自分の手を重ねていた。温かく、柔らかで、華奢な掌。
「?」
「私、隊長ですから」
イザベルの目を真っ直ぐに見つめて、そう告げた。
「だから、何でも話してくれていいんです。なにか悩みがあって、話して楽になる類のことなら、私を便利に使ってください。力になれる、なんて自惚れた事は言いません。けれど、貴女の力になりたいのは、本当ですから」
イザベルが驚いた表情になり、直後に。
すっと、目を伏せた。
「……不思議なひとですね、隊長は」
ふぅ、と吐息がひとつ。そして少しの間の、決して不快ではない沈黙。
「……時々、どっちが本当の自分かというのが解らない時があるんです」
「本当の、自分?」
「ええ。男の子として育てられたアイザックと、女の子として生まれたイザベル。持って生まれた性別は女の子ですけれど、男の子として過ごしていた期間の方が長いんです。だからよく解らなくなってしまうんですよ。僕がアイザックなのか、イザベルなのか、と」
「……そんなの、簡単です」
「?」
「アイザックも、イザベルも、貴女です。どっちが本当か、なんて決める必要はきっと、ありません。イザベルとして生まれたのも、アイザックとして育てられたのも、今、ここにいる貴女なんですから」
そこまで言って、不意にひどい羞恥に襲われた。頬が赤くなって、熱が頭に昇ってくるのが自覚できる。
「す、すみません! 私ったらでしゃばった事を言ってしまって……!」
自分としては、とても失礼な事を言ってしまったつもりだったのだが、
「いえ……ありがとうございます」
イザベルは、そう言いながら柔らかく微笑んでくれた。
その笑みは先程の、どこか陰を感じさせる笑みではなくて――晴れやかで、慈しむような笑みだった。それをロザリーは、素直に、きれいだと思った。
「そうですよね……イザベルもアイザックも、僕でした。どっちかに決め込んでしまったら、残された方の僕を否定してしまうのと同じ……その事に今、ようやく気付けました」
隊長のおかげですね、と。重ねていた掌を、そっと握り返してくれる。
「改めて自己紹介します。僕の名は、イザベル・デュ・モンソオ・ド・バーガンデールです。これから、よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いしますね……えっと」
「隊長には是非、イザベルと呼んで欲しいですね。それが僕の、生まれた時に貰った名前ですから」
「解りました、イザベルさん」
再びの、握手。最初に交わした時よりも、少しだけ強く握りしめる。お互いに。
「それでは、今度こそ失礼します。まだ荷解きが残っているもので」
「こちらこそ、お引止めしてしまってすみません」
「よろしければ、またお茶をご一緒しましょう。今度は僕が淹れますよ」
「それは素敵ですね……楽しみにしています」
アイザックが退室する。
残されたロザリーは、ティーカップの残りをぐいと飲み干した。頬に手を当てると、少しだけ熱をもっているのがわかる。そして、胸にはほんの少しの高鳴り。
これは緊張から来たものだろうか……? それとも。
そんな考えが頭をよぎりかけた時に、不意に、
「これはお互い脈ありじゃな」
廊下側とは別方向のドアが開き、ハインリーケが現れた。手にはコップを持っている。
「うむ。当初の目的を果たしつつ、好感度も上げることができたようだね」
アドリアーナも現れた。手にはコップを持っている。
「ふ、二人ともまさか、ずっと盗み聞きしていたんですか……!?」
「失敬な。見守っていたと言って欲しいものじゃな」
「うむ。まぁ残念ながら直接目視していたわけではないんだが」
二人して、うんうんと首肯する。
「しかしヴィスコンティよ。一つ問題が」
「なんだい姫」
「このまま二人の関係が発展した場合、双方の家に家督の存続の危機が訪れてしまう。これには対策が必要じゃぞ」
「確かにそれはあるね。とりあえずスタンダードに養子を取るというのはどうだろう」
「なるほど、定番じゃな。しかしそれでは家督は継げても血筋は途絶える。同じ貴族としてそれは偲びないのう」
「逆に考えるんだ姫、『家督なんて継がなくたっていいさ』と考えるんだ」
「ほう?」
「二人のご両親にそれぞれ頑張っていただいて弟をつくってもらえばいい。『長男』さえ確保できていれば家督はどうとでもなるさ」
「……それじゃな!」
「か、か、か」
ロザリーがわなわなと身を震わせ、吼えた。
「勝手に話を進めないでくださぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」
その叫びは、506基地の中に、空しく木霊するだけだった。