the point of lover's night
カールスラント空軍の用事で501基地を離れ、ロンドンに一人到着したトゥルーデ。寒空の下、軍支給のロングコートを着込み、書類の入った鞄を抱え込むと、早足で軍の連絡所を訪れる。
トゥルーデは受付の者を呼ぶと、早速書類の束を取り出した。
「……以上だ。書類に何か問題は」
受付に出た係員は、手早く501から(ミーナが書いたものだが)送られた書類の数々に目を通していく。
「すみませんバルクホルン大尉、この部分ですが、もう一度司令官殿に確認を願えますか」
一枚の書類を見せられた。トゥルーデが見たところ単純な誤字だが、正式な書類では許されない。
(ミーナ、疲れているのか)
トゥルーデはふむ、と頷くと、電話を借り、交換手に501基地に繋ぐよう要請する。
「ああ、ミーナか。預かった書類だが、一枚だけミスが有った……なに、単なる誤字、それも一文字だけだ。一応確認の為連絡した」
『あら、ごめんなさいね。何度もチェックしたのだけど』
「仕方ない。誰でもミスはする。完璧な人間など居ないさ。それよりミーナ、最近疲れてるんじゃないのか?」
『有り難う。でも、電話口で心配されてもね』
耳元から聞こえるミーナの声も、どこか疲れ気味の様だ。トゥルーデが何か言おうとした時、ミーナが言葉を続けた。
『それよりトゥルーデ、貴方の事をもっと心配してる子が一人居るから、早く帰ってきた方が良いかもね』
「それはどういう……」
『遅い、トゥルーデ。何やってるのさ』
「その声はハルトマンか。お前こそ執務室で何をやっている? ミーナと少佐の邪魔をしてるんじゃないだろうな?」
『遅いと罰ゲームだよ』
「なんだそれは」
『ともかく、早く帰って来てよね。待ってるから。それとも、少しお喋りする?』
「軍の回線を使って私話など出来るか!」
受話器に向かって怒鳴るトゥルーデ。
「あの……用件は」
横で待機する受付の係員も、困惑気味だ。
「ああすまない……後でもう一度連絡するから、少しだけ待て。一度切るぞ」
『えーっ、ちょっと、トゥルーデ』
がちゃり、とまだ声の余韻が残る受話器を置き、連絡を絶つ。
「さて済まなかった。やはり単なる誤字と言う事で、私が訂正出来るのであればこの場で手続を行うが」
「ではお願い致します、バルクホルン大尉」
トゥルーデは用意された席に着くと、すらすらと訂正書類の作成を始めた。
小一時間掛けて用事を済ませたトゥルーデは、軍の連絡所を急ぎ後にする。
日も暮れてきた。急ぎ、街角に有る筈の公衆電話を探す。
確か、目立つ赤い色のボックスが有る筈だ。
早足で歩きながら、電話ボックスを探す。すぐに見つかった。扉を開けると、中は独特の臭いがするのもロンドン流か。
公衆電話に立ち寄る途中、通話用の小銭を売店で崩してもらい、早速電話する。使い込まれた電話機を前に、色々と確認する。
さっきの、エーリカの言葉が、気になる。
先程と同じ様に、501基地に繋いで貰う。基地のオペレータが出たので、早速呼び出して貰う事にする。
「ああ私だ、バルクホルンだ。ミーナを……いや、ハルトマンは居るか」
掛け放題の軍の電話と違い、公衆電話なので、時間が気になる。
早く出て欲しい。ポケットに溜め込んだコインを適当に放り込みながら、エーリカが出るのを待つ。
何度かコインを投入した所で、受話器に反応が有った。しかしまだ出ない。
(あいつは何をやってるんだ。こっちは急いでるんだぞ)
焦りが手に出る。指先が滑ってコインを一枚落としてしまい、隙間からボックスの外に転がって出て行ってしまった。気にしている暇は無い。
暫くして、不機嫌そうな声が受話器越しに聞こえて来る。
『何さ、トゥルーデ』
「酷いなエーリカ。お前が電話しろって言ったから」
『遅いよ。今何処』
「まだロンドンだ。手続に時間が掛かってな。軍で私用の電話は出来ないから、今街角の公衆電話から掛けてる……えらい勢いで小銭が減っていくぞ」
『大変そうだね』
「全くだ。それで、何か必要なものは有るか? せっかくのロンドンだ、何か……」
『要らない』
「珍しいな」
言いつつ、一枚またコインを入れる。
「菓子のひとつでも買って帰っても良いんだぞ」
『トゥルーデが帰って来れば、それで良いから』
「随分と大人しいんだな……さては横にミーナと少佐が居るな?」
『もう、トゥルーデのバカ! 早く帰って来ないと、後で怖いよ』
「お前が言うと本当に怖く感じる……分かったよ。とりあえずお前が好きそうなもの、手短に何か買って帰る」
『本当、そう言うとこ、鈍いんだから』
「何故怒る」
『じゃあ、好きって言ってよ』
「電話口でか? まあ、好きだが」
『全然心こもってない』
電話が切れそうになり、慌ててコインを何枚か入れる。
「ああもう。……愛してる。これで良いか? 続きは帰ってからだ」
『うん。待ってるから。待ってるからね』
「分かった。すぐに……」
続きを言おうとしたが、小銭が無かった。そのまま通話はぶつりと切れた。
途切れたエーリカの声。余韻が、ぼろぼろにすり切れた受話器の奥にまだ残っている気がして。
名残惜しいが仕方ない。受話器を下ろすと、ボックスから出た。
「さて、アイツは何が好みだったか……お菓子でも買って、急いで帰ろう」
言い聞かせる様に呟くと、トゥルーデは鞄を持ち直し、再び歩き始めた。
二人の約束を守る為に。
end