fifth element 2
「おい、起きろハルトマン!」
いつもの時間、いつもの怒鳴り方。もはやエーリカにとっては子守唄にも等しい、あの人の大声。
「こら、いつまで寝てるつもりだ! 起床時間だぞ!」
「もうちょっと……あと三十分だけ」
「ちょっとも何もあるか!」
「すぐに起きないか!」
エーリカは、まだぼんやりとする頭の片隅で異変を察知した。
トゥルーデの声が、左右からステレオ、いや左右上下からサラウンド状態で聞こえる。
「まただ。どうする?」
「そうだな。ベッドをひっくり返せば流石に起きるだろう」
「たまには少々手荒に起こしても問題なかろう」
「よし、ならば即実行だ。全員でベッドの脚を」
「お前はそっちを持ってくれ。私は頭の方を持つ」
「了解した」
「じゃあ、せーのでいくぞ」
「ちょっ! トゥルーデ何やってるのさ!」
エーリカは跳ね起きると、ベッドの周りを見た。
ベッドの脚ひとつひとつに、トゥルーデが取り付いて、今にも持ち上げようとしている。そしてその「作業」を指揮しているトゥルーデも。
「何でトゥルーデ、五人も居るの!?」
エーリカは悲鳴に近い叫び声をあげた。
「お目覚めになりましたか、姉様」
そこに現れたのは、エーリカの双子の妹、ウルスラ・ハルトマンその人であった。片手に分厚い書類を抱えている。
「ちょっと、ウルスラ何平然とした顔してるのさ! トゥルーデが!」
ウルスラが何か言いかける前に、五人のトゥルーデがそれぞれ喋った。
「大丈夫だ、問題ない」
「なんだハルトマン、案外起きるの早かったな」
「普段からこう目覚めが良ければいいのだが」
「しかし、五人がかりでようやくか」
「さあ、起きたなら朝の体操をして、朝食だぞ」
「ちょっとトゥルーデ待って! 待ってったら!」
トゥルーデ達をなんとか止めると、ウルスラをじっと見て、言った。
「まさかウルスラ。トゥルーデに何をしたの?」
「姉様は察しが良いので助かります。カールスラントのエースを、ひとり、姉様だけに縛り付けておくのは我が国の国家的損失と考えて--」
「だから得体の知れない方法で増やしたって訳?」
「得体の知れない、とはまた心外な。カールスラントの技術力と魔法制御技術、そしてバルクホルン大尉のちょっとした--」
「御託は良いから。要するに、ウルスラの仕業って事ね?」
「はい」
答を聞くなり、エーリカはドスの利いた声で言った。
「とっとと戻せ」
「それは出来ません。ミーナ中佐の許可は取ってあります」
「はあ?」
「あら、フラウ起きたのね。丁度良かったわ」
ミーナと美緒が姿を見せた。
「なるほど。話には聞いていたが、バルクホルンが五人居るとは、圧巻だな」
「少佐も感心してないで!」
「さてバルクホルン、早速で悪いが朝食後、隊員達の訓練だが、良い機会だ。個別指導を頼む。何人か来てくれ」
「了解した」
「私は溜まってる書類の処理の手伝いをお願いしようかしら」
「デスクワークか? いいだろう」
「残りのバルクホルンは朝食後、私とハルトマン中尉の所に来てくれ。改良型ストライカーユニットのテストを行いたい」
「了解した。テストパイロットなら任せてくれ」
「ちょっと何、え? 五人ばらばらに動いても大丈夫なの?」
「私の計算によれば、バルクホルン大尉は今日一日は問題なく五人で行動できる筈です」
「その根拠と方法が毎回怪しいから信用出来ない」
「じゃあ行きましょうか」
ミーナと美緒に連れられて、トゥルーデ達とウルスラはぞろぞろと部屋から出て行った。ぽつんと残されたエーリカは、はあ、とため息をつくと、ふて寝した。
しかし一分もしないうちにもそっと起きると、もぬけの殻になった部屋を見まわし、呟いた。
「なんか、むかつく」
基地の中はちょっとした騒ぎになっていた。何しろトゥルーデが通常の五倍に増えたのだ。あっちではストライカーのテスト、向こうでは芳佳達の個別訓練指導、そして執務室ではミーナの補佐と、大車輪の如き活躍を見せている。
「見たかハルトマン? バルクホルン、増えても役に立つんだなあ」
ちょうどストライカーのテストを見ていたシャーリーが、感心した様子でエーリカに話しかけた。
「まあ、ああいう性格だからね」
「しかし、基地の何処に行ってもあいつが居るって、なんかちょっと気味悪いよな」
「だよね」
「どうしたんだよハルトマン? なんか元気ないぞ」
「気のせい」
ハルトマンはあくびをひとつすると、朝食を食べに食堂へ向かう。
「こらー! あくびとは何だハルトマン! たるんでるぞ!」
テスト中だがエーリカの姿を見かけて怒鳴りつけるトゥルーデ。はいはい、と適当に流して席を外す。
「おはようございますハルトマンさん。朝食出来てます」
厨房に残っていたリーネが手際良く料理を並べた。扶桑のジャガイモ煮込み料理。
「これ、宮藤が作ったいつもの扶桑料理?」
「はい。芳佳ちゃんが作ってくれました。芳佳ちゃんは今、バルクホルンさんと訓練しているので」
「リーネは訓練、出なくて良いの?」
「ハルトマンさんにお食事をお出しして、片付けが終わったら私も訓練です」
「ご苦労様」
「全く。お前がもっと早くに朝食に来ていれば、リーネを困らせる事も無かったのだぞ?」
唐突に現れたエプロン姿のトゥルーデを見て、エーリカはむせた。
「な、何でトゥルーデがここにいるのさ?」
「他の私達が色々やっているのでな。私はここで、これから夕食の仕込みだ」
「何で晩御飯までトゥルーデがやるのさー」
「私は今日、五人居るんだぞ? 私に出来る事をどんどんやらねばな。時間は待ってはくれないからな……って、おいハルトマン、何処へ行く」
「なんか気分悪くなった。部屋で寝てる。ミーナに伝えておいて」
「おい、ハルトマン!」
げっそりした顔で、エーリカは食堂を後にした。
ベッドの上で、ごろりと横になる。
気分が悪くなった原因は、勿論、トゥルーデ。
何故に増えてしまったのか。
増やした張本人のウルスラは「国家的損失」とまで大仰に言っていたが、増えたからと言って、すぐに何かが変わる訳でも……いや、実際のところ、基地の中は盛り上がっていたが。
なんか、つまんない。
そんな呟きもむなしい。いつしか、うとうとと寝てしまった。
「やれやれ。具合が悪くなるとは、困ったお姫様だ」
傍らでトゥルーデの声がする。ふと目覚める。
朝からのあれは夢であってほしかった。でも実際、エーリカを取り囲む様にトゥルーデが五人揃っていると、そろそろ事実として受け入れなければならないのかと、軽い絶望感も漂ってくる。
「ねえ、トゥルーデ」
「なんだ?」
「具合はどうだ、ハルトマン?」
「医務室に連れて行こうか?」
「いや、暫く様子を見た方が良いかも知れないな」
「よし、私が医務室で薬と水をもらってこよう」
「ちょっと待って!」
エーリカの強い声を聞き、五人のトゥルーデは一斉にエーリカを見た。
「何で……、増えたのさ」
エーリカの声を聴いたトゥルーデの一人が、答えた。
「ウルスラの実験の一環だそうだ。ミーナも許可した。何でも、魔法力を一時的に増幅させて--」
「そういう事を聞いてるんじゃなくて!」
一斉に黙るトゥルーデ達。
「トゥルーデは、それでいいの?」
「私は、軍人だからな。命令とあらば」
「今こうしているのも、いわばテストパイロットみたいなもんさ」
「でも」
「すまなかったな。お前にも相談すべきだった」
トゥルーデの一人がそっとベッドの隅に腰掛ける。
「でも、相談したら、お前は反対するかと思ってな」
もうひとりのトゥルーデも、反対側のベッドの端に座る。
「当たり前だよ! するよ!」
「すまなかったな」
頭を撫でてくるトゥルーデ。いつものトゥルーデなのに……心配そうに、そして愛おしそうに見つめて来る相棒。だけど流石に同じ顔が五つも並んでいると、調子が狂う。
うう、と何だか悲しくなるエーリカ。そんな天使の顔を見たトゥルーデは顔を合わせて、五人でひそひそと話を始める。
「悲しんでるな。なら、こういうのはどうだろう? 私達が五人居ると言う事は--」
「なるほど」
「それは面白そうだ」
「しかし、フラウは喜んでくれるだろうか」
「問題無い。何事もチャレンジだ」
一斉にエーリカに向かい、抱きしめる。
一人だと愛情を感じもするが、五人がかりだと、無理矢理拘束されている印象を受ける。
「ちょっとトゥルーデ……」
唇を塞がれる。
敏感な部分を舐められる。
首筋を這う舌。
太腿にもキス。
背後からのハグ。
どれも(普段二人っきりなら)とても気持ち良い筈なのに……
「待っ、て……トゥルーデ。お願い、だから……んあっ」
一斉に体を責められ、エーリカは体をひくつかせながら気を失った。
ふと、目覚める。体を起こす。いつの間にか服が脱げ、ズボンひとつになっていた。
横を見る。トゥルーデが居る。でも、さっきまでとは違い、一人だけになっている。
「あれ? 残りの四人は?」
辺りを見回して思わず呟いたエーリカを、待ってましたとばかりにウルスラがやって来て、告げる。
「バルクホルン大尉は魔法力が切れて元に戻りました」
「ああ、そうなんだ」
「実験はs--」
言いかけたウルスラの顔面に、思いっきり枕をぶん投げて黙らせる。
「私のトゥルーデに、なんて事してくれるのさ!? 何かあったらどう責任取るの?」
「別に、今回の実験は死んだりする程危険なものでは」
冷静にずり落ちた眼鏡をかけ直すウルスラを睨みつけるエーリカ。
妹は足元に落ちた枕を拾うと、双子の姉に渡した。
「分かりました姉様。今度バルクホルン大尉に何かを相談する時は、必ず姉様にもお声がけしますから」
「そういう問題じゃない」
「ともかく、もう増えたりはしませんのでご安心を。私も、これから実験データを持ち帰って検証しなくては」
「もういいよ、そういうの」
怒り半分、呆れ半分の姉を見、双子の妹はぼそっと呟いた。
「……ゆうべはおたのしみでしたね」
ウルスラはそれだけ言い残すと、逃げる様に退散した。あと数秒逃げるのが遅かったら、枕でなくもっと硬くて重い殺傷力の有る物を投げられていたかも知れない。
苛立ちが収まらないエーリカは、ぐぬぬと歯がみして、手にした花瓶を元に戻す。
(何でこんなことに?)
「ああ。フラウ。起きてたのか」
薄目を開けて、上半身を起こす堅物大尉。ただならぬ気配を感じたのか、目が覚めた様だった。
「トゥルーデ、大丈夫? どこも悪くない?」
さっきまでの怒りは消し飛んで、心配する。
「問題無い。健康そのものだ。若干、魔法力の減少を感じるがその程度だ」
「やっぱり……ウルスラ、許さないよ」
ふつふつと、怒りが甦る。
「まあ、そう怒るな」
「だって、いきなり増えて……」
言い淀むエーリカ。気を失う直前にトゥルーデにされた事を思い出す。はっと気付いて自分の体を見る。全身に、痕が残ってる。
「もう、トゥルーデのバカ。何でよ。何てバカでバカでバカでバカなの」
早口でまくしたてる愛しの人を前に、狼狽するトゥルーデ。
「そんなに言わなくても」
「だって、五人がかりは酷いよ! 何かヘンな性癖に目覚めそうになったよ!」
「わ、悪かった。やり過ぎた」
「私も今度ウルスラに言って五人に増やして貰って、トゥルーデに十倍返ししてやる」
「そっちか」
「トゥルーデも前に、見た夢の話してたよね? 『五人いっぺんには』って。私、身を持って経験したんだから」
「ああ、やっぱり、やり過ぎだったよな。……本当にすまない」
「とりあえずー」
エーリカはトゥルーデを押し倒した。指を絡め合う。二人の指輪がランプの灯を受けて微かに輝く。ゆっくりと長めのキスを交わす。一息付いたところで、もう一度。
「まずは、私が満足するまで、トゥルーデで遊ぶ」
トゥルーデは苦笑いしたが、すぐに唇を塞がれた。
「一対一なら、負けないよ?」
にやり、とエーリカは笑った。
end