fifth element at 502JFW
その日もペテルブルクは極寒だった。訓練飛行を終えてハンガーに戻りストライカーユニットを預けると、ひかりは凍える体をぶるっと震わせて、白い息を弾ませた。
「あれ?」
ふと気付く。ハンガー出入口の片隅の机に、誰かが用意してくれたのだろうか。淹れたてのお茶がマグカップに置かれていた。立ち上る湯気はとても甘い匂いで、見た目はまるでミルクティーだ。
近くに居た整備員に聞いてみても、誰も分からないと言った曖昧な答えだった。
「じゃあ、勿体ないし、私、頂きます」
ひかりは遠慮無くマグカップを手にする。温かさが指先を通して伝わって来る。ふーふーと少し息を吹きかけ、ぐびっと飲んだ。
「甘い!」
驚くひかり。
そしてもう一人、驚いている人物が居た。
「あーしまった! ひかりちゃん、それ、飲んじゃったかー」
「クルピンスキーさん?」
夕食になっても、ひかりは現れなかった。
「おかしいよな。訓練の後は腹減ったーって真っ先にやって来るのに。どうしたんだひかりは」
直枝はご飯をかっこみ、ボルシチをスプーンで雑にすくって食べながら他の隊員に聞いた。
「さあ。ハンガーから出たっきり、何処へ行ったのやら」
サーシャも知らないらしい。訓練後の報告書もまだなんだけど、とぼやくエディータ。
「ひかり、また具合でも悪くなったとか?」
心配するニパ。
「定ちゃん、後でひかりさんの部屋行ってみよう?」
おかわりの皿を定子に差し出す。そうだね、と頷く定子。
「今日の夕食も旨い。流石は下原だ」
満足そうに頷くラル。
「そう言えば、クルピンスキーさんはどうしたの? 何か任務?」
もう一人居ない事に気付くニパ。
「さあ。何処でどんな悪事を働いているのやら」
呆れ半分のエディータがぼやいたタイミングで、颯爽と現れたのはヴァルトルートその人。
「やあ皆。遅くなってゴメン。僕の事、待ち遠しかったかい?」
「誰も待ってないわ。さっさと食事を済ませなさい」
エディータのきつめのツッコミも意に介さず、ささっと食事当番の定子に近寄ると、ちょっといいかな、と厨房の奥に手を引いていき、ひそひそ声。
「えっ? そんなにたくさんのおにぎりを?」
厨房から聞こえて来た定子の声を聞いて何かを察したかの様に席を立つと、ヴァルトルートの首根っこを掴むエディータ。
「今度は何かしら? 怒られる前に白状なさい」
「えっ、何の事かな先生? 僕、ちょっと急いでいるんだけどな」
額に汗してしらばっくれる伯爵。
「あのー」
「クルピンスキーさん、おにぎりまだですか?」
ひかりがやって来た。
「遅いぞひかり。何やってたんだよ」
ひかりに目もくれず食事を続ける直枝。
「だって、クルピンスキーさんが部屋から出るなって言うから」
「別に変な事はしてませんよ?」
「でも、お腹が空いて空いて」
「どうすればいいのかなと」
「それで、来てみたんですけど」
一同は、次々発せられるひかりの声を聞き、姿を見てぎょっとした。
そこには、ひかりが五人居た。
「うわ! ひかりが増えた!」
「な、なんでだよ?」
「ひかりさん……どうしてこんな事に」
動揺を隠せない一同。
「さて偽伯爵様。どうしてこうなったか教えて貰えないかしら」
一人冷静なエディータはヴァルトルートの耳をつまむと思いっきりつねり上げた。
「痛い痛い痛い! 先生、暴力は良くない!」
「貴女の耳が千切れる前に答えを」
「いや、これは話せば長くなるから、ちょっと皆落ち着いて」
「手短に」
「痛いッ! 分かりましたよ先生。先日、とあるトコロから不思議なお茶を手に入れたんだけど、僕が試す前にひかりちゃんが誤って飲んじゃってさ~」
「よく出来ました。貴女には更なる懲罰が必要ね」
そう言うと、エディータはそのままヴァルトルートを連れて食堂から出て行った。行った先で伯爵の悲鳴が聞こえたが、皆それどころではなかった。
「ひかりお前……。拾い食いみたいな真似するから」
呆れる直枝を前に、一斉に多人数のひかりが反抗する。
「だって」
「寒くて震えてるところに」
「温かくて甘そうなミルクティーですよ?」
「飲みますよね普通?」
「ちょうどお腹も減ってましたし」
「下原さん、夕食お願いします!」
「あ、私も」
「私も。大盛りで」
「私は具沢山がいいです」
「とにかく何でも良いので食べ物を」
「お前ら落ち着け!」
一喝する直枝。
「ど、どうしましょう、隊長」
どう対処して良いか戸惑う定子を前に、ラルは言った。
「とりあえず一人前を与えて様子を見よう」
奪い合う様におかずを食べ、ご飯を食べ、ボルシチをすするひかり達。
「どうすんだ、この大所帯」
完全に呆れ顔の直枝。
「クルピンスキーさん言ってました。私が飲んだ不思議なお茶、少しだけだったから明日には元に戻るって」
「だから私達、大丈夫です」
「その大丈夫、の根拠がよくわからないわ……」
頭を抱えるサーシャ。
「五人居ると、食事量も五倍になるんだね、定ちゃん。私負けてられないよ?」
「もう、ジョゼは変な所で感心してないで」
ジョゼと定子は夕食の方に関心がある様だった。
「おかわりください!」
「私も!」
「私も!」
「はいはい落ち着いて。まだおかわりは有りますから……って隊長、おかわりは良いですか?」
「下原。今夜の夕食、どれ位作った?」
「普段通りですが、今のところまだ多少の余りは」
「では、三人分まで許可しよう。流石にひかりも気の毒だ」
「ありがとうございます、ラル隊長!」
がっつく五人のひかり。
「ひかりが五人かあ。カード遊びとかしたら楽しそうじゃない?」
興味深そうに様子を見るスオムスのウィッチ。
「ニパお前なあ。元は同じひかりなんだから、全員同じ思考になって面白くないだろ」
そう答えて、やれやれ、と呟く直枝。
「しかし、とんでもない事になっちまったな」
食事が終わった後、非番の直枝の部屋には五人のひかりが居た。
「本当、とんでもない事になっちまったな……」
改めて五人のひかりを前に呟く直枝。
「ですよね」
「こんな大事件の時に、私の部屋の暖房が壊れてるなんて」
「と言う訳で、一晩寒さを凌がせてください」
「お願いします、管野さん」
「相棒のよしみで」
どのひかりからツッコミを入れていいか分からない直枝は、まあ座れ、とだけ声を絞り出した。めいめいがベッドの隅やら椅子やらに腰掛ける。
「で、一晩ったって、どうするんだよ」
「管野さんのベッドお借り出来れば」
「合計六人は多過ぎだろ! 留置場だってこんな酷い詰め込み方はしない」
「でも寒いですし」
「六人居れば、人数分暖かくなりますよ」
「では早速」
「おい待て待て!」
「あ、管野さん、遠慮なさらず」
「どうぞ真ん中へ」
「そうじゃねえ」
「私達、相棒じゃないですか」
「そりゃ一対一の時の話だ」
「じゃあ今は何なんです?」
ひかりの一人からそう聞かれて、直枝は答えに困った。
そんな直枝をじーっと見つめる、十の瞳。
何故か圧される気配を感じ、一歩後ずさって、一言呟く。
「迷惑」
それを聞いたひかり達は口々に抗議やら悲しみを口にする。
「管野さんひどーい!」
「増えたのが私だからまだいいですけど」
「これが管野さんだったら」
「私だって好きでこんな事になった訳じゃ」
「私、管野さんの他に頼れる人が……」
「オレはそんな拾い食いみたいな危ない事はしないし、お前みたいに……」
いつしか、ベッドの真ん中に座らされ、ひかりに取り囲まれている事に気付く直枝。
「仮定の話を聞いてるんです」
「管野さん、酷いです」
「管野さんていつもそうですよね」
「付き合い結構長いのにまだ気付かないんですか」
「いつも、私が迫ると、すすっと逃げるみたいで」
口々に言われ、多勢に無勢、ぐぬぬ、と逃げ場を失う直枝。
「そ、そんな事は」
「じゃあ、今の私でも受け入れてくれますよね?」
「人数が多過ぎるだろ」
「明日の朝には戻ります」
「じゃあ、それまで管野さんと」
「あ、私も混ざりたい」
「私も」
「私も」
五人のひかりは、うきうきしながら直枝を取り囲むと、服を脱がしに掛かった。
その夜、直枝の部屋からは直枝の嬌声が何度も聞こえたが、皆聞いて無い事にした。
結局、途中で記憶を失った直枝は、朝日が差し込むと自然に目覚めた。
ぼんやりした頭を振り、自分を、そしてひかりを見る。
たったひとりのひかり。元に戻っていた。気持ちよさそうに、すやすやと寝息を立てている。
一方、直枝自身の体には……無数の痕が残っている。やっぱり昨日の事は悪夢でも何でも無く事実だった事に気付く。
「あー、もう」
直枝は何とも言えない気分になって、もう一度ベッドに横になった。
でも、確かに、五人のひかりは、いつもの彼女よりも温かさが違った。
きっと人数のせいだろう。もう二度とゴメンだが。そう独りごちると、目を瞑った。
そしてその朝。
執務室前では、ヴァルトルートが首から看板を掛けて正座させられていたが、隊員達はあえて見ない事にした。
end