chronograph
エディータ直伝の厳しい訓練を終え、ふらふらとハンガーに戻るとストライカーユニットと模擬戦用の訓練銃を預け、よろよろと数歩歩き、へたり込む。
「疲れたー……。今日のロスマン先生、厳しかったなあ」
独り呟くひかり。
ひかりは他のウィッチに比べて魔法力が強くない。だからこそ、あらゆる技術と戦術、そして元々の持久力でカバーすべし、とエディータは考え様々な訓練をしていた。ひかりの強い意欲に押されるかたちで教官たるエディータも指導に熱が入る。
だが、流石に連日の訓練となると、流石のひかりも息切れしがちだった。
よいしょ、と立ち上がり、ふらふらとハンガーを後にする。ドアを開けた途端、何か言い争いをしながら入って来たヴァルトルートとサーシャの二人と出会い頭にぶつかってしまう。ヴァルトルートの抱えていた木箱から、幾つか小物が落ちる。尻餅をついたひかりは、そのまま床に散らばった小物を拾い上げ、まとめて渡す。
「ご、ごめんなさい」
「あーこっちこそごめんねひかりちゃん。僕達もちょっと不注意だったよ」
笑顔で受け取るヴァルトルート。
「クルピンスキーさんは私の事しか見てなかったでしょうに」
呆れるサーシャ。
「でさ、頼めないかなあ。この時計の修理、いや製造を」
「流石の私でも、ストライカーユニットみたいに時計の修理は……」
そのまま言葉をぶつけ合いながら、二人は去って行った。ふと、ひかりの足元に、ひとつだけ時計が落ちていた。
「あ、あの! まだひとつ……」
二人は何処かに消えていた。
ひかりが拾ったのは、少し大きめの腕時計。だけど秒針がやたらと多く、ぴくりとも動かない。そして不思議と幾つかの見慣れないボタンが付いていた。
「なんだろう、これ?」
弄ってみるが、何も起きない。
その時計らしきものは、とてもユニークな形をしていた。ひかりの琴線に触れたのか、ちょっと腕に巻いてみようと言う衝動に駆られる。ぎゅっと、腕時計の革紐を巻く。
途端にビリビリと、電撃に似た衝撃が腕を伝った。そして何故だか、魔法力が吸われる気がする。
「な、何これ」
急に怖くなったひかりは外そうとしたが、焦ってなかなか外れない。
そこに、偶然通り掛かった直枝がひかりを見つけてやってきた。
「おいひかり。お前何やってんだ?」
「あ、管野さん。こ、この時計」
「腕時計がどうしたんだよ?」
「えっと、外れなくて。ビリビリして」
「意味分かんねーな」
「ええっと、ちょっと待ってくださいね」
外そうともがいてるうちに、赤いボタンを間違って押してしまった。
途端に、頭の中で戦艦の艦砲を撃った様な激しい衝撃が走る。思わず蹲る。
うう、と呻きながら頭を押さえ、ふらふらと立ち上がる。
「な、何だろう、これ……って管野さん?」
直枝は固まっていた。腕組みして、不思議そうな表情でひかりを見ているが、ぴくりとも動かない。
「ちょ、ちょっと管野さん? あれ? おーい」
ひかりは直枝の顔の前で腕をぶんぶんと振ってみたが微動だにしない。何度呼んでも返事が無い。
「管野さん酷い! 今度はどんな意地悪ですか!」
業を煮やしたひかりは立ち尽くす直枝を無視し、元の持ち主を探すべく、ふらふらと基地の中を探した。
その途中で、妙な光景を幾つも目にする。
厨房で料理をする定子とジョゼ。大鍋のシチーを作る二人は笑顔のまま、ぴくりともしない。
こんこんとノックして、執務室を覗く。ラルはノックがあれば何らかの反応を示す筈だが全くリアクションが無い。そっと中の様子を見ると、机に積まれた書類の山を前に険しい顔で腕組みしていた。
「ラル隊長!」
ひかりの呼びかけにも応えない。
「一体どうなってるの?」
ひかりは余計に怖くなった。気付けば基地の中、何もかもが固まっている。時計も、人も、物も全て。動いているのは自分だけ。しかも魔法力は吸い取られる一方。
あてどなく基地を彷徨ううちに、廊下の先に居たエディータを見つけた。
「ロスマン先生!」
やっぱり、エディータも無反応だった。歩いてる途中なのか、止まったままだ。
「ど、どうしよう……あ、そう言えば」
こうなる直前に、時計の何処かのボタンを押してしまった事に気付く。また何処かを押せば元に戻るかも知れない。魔法力が失われ意識が少しずつ薄れていく。色々と弄るうちに、もう一度赤いボタンをぽちりと押した。再びの、酷い衝撃がひかりの頭中を走る。
「ひっ!?」
エディータが、ひかりの姿を見るなり悲鳴を上げた。
「せ、先生、酷いです……」
ひかりはそのまま床に倒れ込んだ。
「あ、起きた」
ニパが心配そうにひかりの顔を覗いていた。直枝も腕組みして横に居た。エディータも一緒だ。ひかりはいつの間にかベッドに寝かしつけられていた。
「ひかりさん、大丈夫?」
エディータがひかりの額に手をやる。
「あ、皆さん……ようやく動き出しましたね」
「おい大丈夫かこいつ。まだうわごと言ってるぞ」
呆れ半分、心配半分の直枝。
「そ、そうだ。あの腕時計」
「これの事ね?」
件の腕時計はエディータの手にあった。
「外せなくて困ってる、と管野さんから話を聞いたわ。何とか私達で外す事はできたけど……ひかりさん、貴女今魔法力が殆ど無くなってるわ」
「ええっ!? やっぱり、その腕時計に--」
「その様ね。この時計、何か妙な仕掛けがあるみたいね。さっきは私の目の前に突然ひかりさんが現れて驚いたわ」
「ロスマン先生には、私がそう見えたんですか」
「ひかりさんからは、私達が止まってる様に見えたのね」
「そ、そうなんです! どうしてだか分からないんですけど」
「いやーこんなところにあったとは。探したよ~」
呑気に部屋に入って来たヴァルトルートを、全員がじと目で見る。
「あれ? みんなどうしたのかな? 僕の顔に何か付いてる?」
「ちょうど貴女と話がしたいと思っていたところよ~。さあこっちに来なさい」
慣れた手付きでエディータはヴァルトルートの首根っこを掴まえて、部屋から連れ出した。間も無くヴァルトルートの悲鳴が聞こえた。
「なんだよ。またあいつが何かやったのか」
呆れる直枝。入れ違いでサーシャが入って来た。
「ひかりさん、大丈夫ですか?」
「すみませんサーシャさん。ご覧の通り、魔法力が」
「クルピンスキーさんの言った通りだわ。あの時計、身につけたでしょう?」
サーシャの問い掛けに、すまなそうに応えるひかり。
「はい」
「あの時計の様なものは、ウィッチの魔法力を消費して動く、時間制御装置みたいなの」
「えっ?」
「どうしてそんなものがここに?」
サーシャの説明を聞き驚くニパと直枝。
「何でも、501への配達物の幾つかが502に間違って送られたみたいで、それを勝手に開封したクルピンスキーさんが……」
「説明書も読まずにひかりに押し付けて実験したのかよ。あいつ、本当とんでもねえな。歩く災害だぞ」
呆れ半分、怒り半分の直枝。
「いえ、好奇心で勝手に付けてしまった私が悪いんです」
ひかりは反省の弁を述べた。
「でもクルピンスキーさんの話では、今あるこれだけでは完全には動かないらしくて、もう一式と、設計図等が必要らしいんです。でもそれは、恐らく本来の送り先の501に」
「さっきのは、片割れの半分だけって事? 余計に危ないね」
サーシャの説明に、肩をすくめるニパ。
「ともかく、これは荷主に送り返しましょう。私達ではどうしようもないですから」
「確かになあ」
「でもサーシャさん」
何か閃いたひかりが、サーシャに問い掛ける。
「どうかしましたか?」
「周りが止まって自分だけ動けるって言う事は、例えば戦闘の時、使うと有利になりませんか?」
「確かに、説明書にはそう言う使い方が有効と書いてありましたけど、魔法力の消費が膨大過ぎて、とても実用レベルではないですね」
「そうですか」
残念そうにしょげるひかり。そんな相棒を見て直枝は言った。
「おいひかり。お前は元々魔法力が弱いんだ。お前ごときに使えっこねえだろ」
意地悪く言ってふふんと笑う直枝。
「管野さん酷い! さっき固まってる時、顔に『ネコ』って落書きすれば良かった」
「てめえ! 子供じみた悪ふざけ思い付いてんじゃねーよ」
ニパがそんな二人の間に割って入った。
「二人共よしなよ。ともかくひかりは魔法力戻るまでゆっくり休んで回復しないと」
「それが一番ですね。ラル隊長には私からも具申してみます」
サーシャも頷く。
「後で下原に何か滋養の付くモノ作って貰ってやるから、まあ待っとけ」
直枝はそう言うと、部屋から出ていった。
頃合と見て、残る二人もお大事にと言って退室した。
あーあ、とベッドに残されたひかりは、思いを巡らせる。
「あの腕時計がそう言う仕組みだって知っていれば、もっと……色々出来たのに」
「ひかり、魔法力戻るまでどれ位かかるかな」
心配そうなニパ。
「ひかりの魔法力は元々たかが知れてる。すぐだろう」
呑気な直枝。
「後でジョゼさんにも診て貰いましょう」
現実的な解決策を模索するサーシャ。
と、三人の目の前に突如として「私は部下の魔法力を故意に減退させました」と書いた札を首からぶら下げ、正座させられた……と言うよりきつく縛り上げられたヴァルトルートが現れた。
「おわ!」
「う、うわっ?」
「きゃっ!」
驚く三人。
そしてコンマ一秒も経たず、真横に立つエディータの姿が現れた。慣れた手付きでぱんぱんと手を叩き、巻いていた件の腕時計を外す。
「確かにこれは便利ね。魔法力の消費にさえ気を付ければ、逃げられる事なく一方的にこのろくでなしを縛り上げられる」
あくまで冷静、冷徹なエディータ。しかし何処か楽しそうで……。
見てはいけないものを見た、と思った三人は、そのままおずおずと横を通り過ぎた。
end