√30「わたしのかえる場所」
私はキスする代りに首を横に振った。迷いはなかった。
「ダイジョブ、もうすぐサーニャの大好きなエイラが帰ってくるサ」
「そっか、そうだよね……エイラにもあっちの私が待ってるんだもんね、あなたの唇はあの娘の物なんだ」
「ちょっ!ワタシとサッあっちのサーニャはまだ何モ……」
「うふ、あなたのファーストキス貰っちゃったらあの娘に失礼だね……じゃあ握手……してくれる?」
「ウン……」
私とサーニャは握手をしながら暫く見つめ合った。
小悪魔なサーニャもちょっぴり可愛いななんて思ってしまう。
本当はサーニャと手を繋ぐのすら初めてなんだけど……このくらいの浮気、許してくれるよなサーニャ?
そしてどちらからともなく、私達は絡めた指をほどいていった。
サーニャとの、こっちのサーニャとの別れの時は迫っていた。
「アイツと、こっちのエイラと幸せニナ!」
「うん……あなたたちもね!」
~突入~
私は渦の中心座標に進路を向け飛び込んだ。中心に近付くごとに潮汐力は強くなっていった。
これじゃシールドを形成していても、亀裂を越える前に体が砕かれそうだ。
もう駄目だ、あきらめかけたその瞬間、体が自然と軽くなりストライカーが加速した。
「大事な妹を傷つける訳にはいかんのでな、最後くらいお姉ちゃんらしい所発揮させてくれ!」
バルクホルン大尉が魔法力を発動してくれていた。胸のボリュームに伴い増加した質量が重力を生み出す。
新に形成された重力場が、亀裂から流れ出る重力を打ち消してくれていた。
「サンキュー!トゥルーデ姉ちゃん!」
私は照れながら親指を立て、バルクホルン大尉も親指で返してくれた。
その向う側にはみんなの顔が見える、心配そうに見つめるサーニャの顔が見える。
元気でな、サーニャ。こっちのエイラもサーニャだけをずっと見つめているはずさ。
それからサーニャが剥いてくれたリンゴ、美味しいかったよ。
私の体は次第によじれだす、どうやら亀裂に到達したようだ。
そして私は意識を失った。
~起床~
私は目覚める、なにやら夢をみていた気もするけど、たぶん夢なんかじゃない。
全身に温かく心地良い温もりが伝わって来る。私は愛しのサーニャにおんぶしてもらいながら海上を飛んでいた。
記憶がはっきりしてくる。頭痛はないが体がぐにゃ~っとよじれたみたいな感覚はまだあった。
「気分はどうエイラ?」
「ダイジョブ、それより此処ハ?」
心配そうにサーニャが私の方へ振り返る。私は笑顔で答えて、それから辺りを見渡した。
他のみんなもいる。そしてみんなの顔を確認した。
「坂本少佐、眼帯が右目に戻ってル」
「ああ紛れもない、私の眼帯は右目だ」
「ペリーヌ、眼鏡かけテル」
「眼鏡のないわたくしなんて考えられまして?」
「トゥルーデ姉ちゃん、その髪型!」
「ねねねねっ姉ちゃんだと!エイラ!もう一度言ってみてくれ!」
「あっ……間違えタ、バルクホルン大尉、いつもの大尉ダナ」
見馴れた光景だ。
帰って来た……帰って来たんだ私の世界に!
『おかえり!エイラ』
「タダイマ!ミンナ」
隊員みんながここで迎えてくれたのには理由があった。
どうやらこちらでもあちらと同じ事が起きていたらしい。
この世界が整合性を保つため私の代わりにあっちのエイラが飛ばされて来ていた。
そしてこちらでも同じ結論に達し、たった今あっちのエイラを送り届けた所だったそうだ。
こちらは亀裂の入り口にあたる訳だから、重力に導かれ無事帰れた事だろう。
きっと今頃あちらでもエイラとサーニャは抱き合っているに違いない、その上キスまでしてるんだろうな。
頭痛がない所をみると時空の亀裂も完全に塞がれたのだろう。
すべてが元の鞘に納まった、私とサーニャの関係以外は……
~一時間後~
私とサーニャは束の間の空中散歩を楽しんでいた。
魔眼を通して私と坂本少佐が亀裂の消滅を確認すると、ミーナ隊長は基地への帰還命令を出した。
みんなが『ごゆっくり~』などと気をきかせて帰ってしまい、私達二人だけ海上に取り残されたからだ。
そして私達はお互いの出来事について語り合った。
「エイラ……あっちの私と……キスとか……してないよね?」
「!……してナイ、してナイヨ!なんでソンナ事聞くンダ」
「私……されそうになった……あっちのエイラに……」
「サッ、サーニャになんて事しゃがるンダ!」
「でも、でもしてないよ!……握手はしたけど……ごめんねエイラ」
「実はワタシも……あくしゅしちゃいましたゴメンナサイ!でもおアイコダナ」
「……」
「ん?サーニャどうしたンダ?」
「……許さない……浮気なんて絶対許さないんだから!エイラのばかぁ!もう知らない」
がぁ~ん!サーニャが今、ばかって、私の事ばかって言った……
そんな馬鹿な私、付き合ってもいないのに、なんか尻に敷かれている!
ちょっと待て……付き合ってない?がぁ~ん!がぁ~ん!
そうだったあっちの世界に行ってて勘違いしてたけど、私とサーニャはただのお友達なんだった。
え?……じゃあなんでサーニャは怒ってるの?浮気?あっちのサーニャに嫉妬してくれてるって……事なのかな?
そう言えば、あっちのサーニャはわざと部屋を間違えたって言ってたっけ……それってつまり!
言わなくちゃ、ちゃんと自分の口で!一番大切な事、私はまだサーニャに伝えてない!
「サッ、サーニャ!」
「……何言っても許さないから……」
「ワタシは!」
「……」
「サーニャが大好きダァァァ!一番大切な人ナンダァァァ!」
「……!!!」
沈黙が流れる。
暫くしてサーニャが何かを納得したらしく首をコクコク傾げる。これは告白された事に対してだ。
もう暫くしてまた首をコクコク傾げる。これは私達がまだ付き合ってなかった事に対してだろう。
そしてサーニャの顔が熟したトマトの様に赤く染まって行く。
たぶん決死の告白直後の、今の私の顔より真っ赤だと思うよ。
「エイラはエイラだよね……?」
「ウン?」
「あっちのエイラじゃないよね……?」
「ウン」
「私の……私のエイラだよね!」
「ウン!」
「私もエイラが大好き!」
そう言ってサーニャは抱きついて来た。
抱き合いながら私達は顔を近付ける。見つめ合って、二人して笑い出した。
涙なんてこれっぽっちも似合わない告白だった、お互い長年の想いを遂げたというのに。
だけどやっぱり私は泣いていた。それは今迄の苦難の道程を思っての事じゃない。
サーニャも私と同じく、もう一人のエイラに揺らぐ心と必死に戦っていた、その様を思っての事だった。
「アノナ」
「うん……」
「キス……してもイイカナ」
「……うん」
私はサーニャのほっぺにキスをした。
たとえそれがもう一人の自分だとしても、大切なこの娘の心が他の誰かに奪われてしまわないように……
私は願いを込めてキスをした。
そしてサーニャが何も言わずに私のほっぺたにキスしてくれた。
「これでおあいこだね」
「おアイコダナ」
気付くと辺り一面は茜色に染まっていた。
空も、空を漂う雲も、それを映す海さえも、世界の全てが照れている様だった。
「サーニャ、もうそろそろ帰らなきゃナ」
「うん……わたしたちの帰る場所にね」
私達は基地の方角へと進路を取った。
私達は手を繋ぎ、夕日に向って飛び続けた。
私は夕日に照らされたサーニャの横顔をそっと見つめる。
夕日に染められたサーニャの唇はまるでルージュを引いた様に潤しく、キス……唇にしとけば良かったかななんて思ってしまう。
あっちの世界で私達二人の別の可能性を見たものだから、私ちょっと欲張りになっているのかな。
今日三回目のクイズショーに出場し、ひたすら悩んだ挙句「C.ほっぺにちゅー」を選択したなんて事は人には言えない秘密だ。
今こうして手を繋いでいるだけで私どきどきしちゃってる、やっぱりこれが私達には丁度良い速度なんだ。
私達には私達が紡いで来た時間がある、それをこれからも大切にしていこう。
私達の時間の流れで、この世界に時を刻んていこう。
基地が視界に迫る頃、空には明星が輝き出した。
エンディンクNo.5「わたしのかえる場所」
~おしまい~