第33手 髪をいじる


「おい、棘だらけ」
 鏡台の前にある椅子の背もたれをぽんぽんと叩きながら、ハルトマン中尉は言った。
 呼ばれている――そう理解しながらもわたくしは無視を決めこむ。
 わたくしの名前のどこにも“棘だらけ”なんて言葉は入っていない。
 だから、返事をするいわれなんてない。
「棘だらけってば」
「…………」
「棘だらけ、おーい」
「…………」
「聞こえてないのか棘だらけ」
「なんですの!?」
 なんなのです、さっきから。人を棘だらけ棘だらけと。
 呼んでいるなら、ちゃんと名前を言いなさい。あまりに無礼ではありませんこと。
 だいいち、別にわたくしは棘だらけなんかじゃありません。決して。
 早口にそうまくしたててやりそうになった。
「なんだ聞こえてるんじゃん」
 が、そうするより前にハルトマン中尉がぽつりつぶやく。
 そこで気がそがれてしまった。
 返事をしたということはつまり、自分が棘だらけだということを認めてしまったということではないのか。
 わたくしは苦虫を噛み潰した。
「座って、ペリーヌ」
 ハルトマン中尉はわたくしの名前を呼んで、言った。
 “棘だらけ”ではなくて。
 当分の間、延々と呼ばれ続けると思っていただけに、かるく拍子抜けのようなものを感じてしまう。
 もう飽きたのか。あるいは逆に、今回の方が気まぐれなのかもしれない。
 思案するも、なぜ変わったのかはわからない。まあどうでもいい。
 彼女の頭のなかなんてわかるわけがない。
 ぽんぽん、とハルトマン中尉は急かすように椅子の背もたれを叩いた。
 座って、と言うのはその椅子にということなのだろう。
「わたくしが? どうして?」
 まあ今回は名前で呼ばれたのだから、応じても問題はない。
「髪の毛ぼさぼさでしょ。私が直したげる」

「お断りですわ」
 わたくしは一音一音を区切るようにはっきり言い切った。
 断固として拒否。遠慮とかそういう風に受け取られてはかなわない。
 たしかに先ほどの戦闘で電撃を使ったせいで、今わたくしの髪は乱れている。
 けれど、女の命である髪を軽々しく人に触らせるなんてとんでもない。
 しかもその相手がハルトマン中尉とあれば、ロマーニャのガキンチョやスオムスのアイツと並ぶ要注意人物ではないか。
 なにかたくらんでいるように思えるし、そうでなくてもありがた迷惑だ。
 空でならいざ知らず、地面の上のハルトマン中尉に任せるなんて気になろうはずがない。
「えー、なんで?」
 心底不思議そうにハルトマン中尉は訊いてくる。
「当たり前でしょ。そんなこと」
「わかんない。なんで?」
「あなたになんて任せられるはずないでしょう」
 わたくしは言った。言ってやった。
 ――けれど、彼女は意に介さず、なおもわからないといった表情をわたくしに見せる。
「とにかく、お断りですわ」
 わたくしは言い終わらぬうちにきびすを返し、とにかく彼女から離れることにした。
 離れようとしたのだった。
 けれど、わたくしの手首を掴む手がそれをさせてくれなかった。
 その手はハルトマン中尉だ。ぐい、と強く引っ張られる。
「棘だらけ」
 ハルトマン中尉はそう一言。また“棘だらけ”に戻っている。
 そして強引に手を引かれるまま、わたくしは無理矢理椅子に座らされた。
 立ち上がろうにもわたくしの肩に彼女は手をのせ、それに力をこめてくる。
 後ろに立つハルトマン中尉が満足そうに笑ったのが、鏡に映って見えた。

 ハルトマン中尉はブラシを手に取り、わたくしの髪を梳いていった。
 もし少しでも髪を粗野にでも扱おうものなら暴れてやる。
 そう心に決めていたわたくしだけど、どうやらその必要はないようだった。
 大切にされているのが伝わってくる。
 ブラシをかける動きの一回一回が丁寧で、髪を取る手もなんだかやさしい。
 なんだかそれは手慣れているようにさえ思える。
 非常に不可解なことだが、あのハルトマン中尉がだ。
 伸びた前髪が目に入ってきてうざいからと、鏡も見ずに自分で切ってしまうような、
 その結果どう見ても失敗してしまってるのに、本人はまったく気にしなかったという逸話のある、
(それ以来、彼女の髪はバルクホルン大尉が切ることになった)
 そんな身だしなみなんて概念とは無縁のハルトマン中尉が、である。

「どうかした?」
 怪訝な視線を鏡に映る彼女に向けていたわたくしに気づき、ハルトマン中尉は訊いてくる。
 鏡像の彼女と目と目があい、わたくしは顔をそむけてしまった。
「慣れていらっしゃるようなので」
「意外?」
「ええ。とっても」
 皮肉をこめて言ってやる。
 最初は髪に手を触れられるというだけで強い拒絶感を覚えたけれど、今はそんなことはない。
 どうやらそれはすっかり杞憂だったようだ。

「私、妹がいてね、昔はよくこうして髪をいじりあいっこしたんだ」
 ハルトマン中尉は手を動かしながら、そう話しかけてくる。
「妹が?」
「そ。双子の妹」
 その表情は昔を懐かしんでいるようで、なんだかそれはわたくしの目に儚く映った。
 わたくしの髪を直すなんて言い出したのも、そこからきたものなのかもしれない。
 しかしそれはしばらくすると、口元をぎゅっと結んだむずかしいものに変わった。
 髪を梳く手が止まった。
 そうしてハルトマン中尉はそのまま押し黙ってしまう。
 その妹さんは――?
 わたくしはそう訊いてみたい衝動にかられた。
 でも、と思う。
 それはわたくしの踏み入っていい領域でない。そんな風に思われた。
 だからわたくしには、推し量ることしかできない。
 他になにか、わたくしから言うべきなのだろうか。たとえば話題を変えるような話を。
 けれど、それは浮かんではこない。そんな言葉をわたくしは持っていない。
 共に無言の、静かな時間だった。
 わたくしは息苦しさを感じた。

「まあウーシュはこんなに髪が長くないけどね」
 先に口を開いたのはハルトマン中尉だった。でもその表情は已然としてむずかしいままだ。
「あー、またウーシュの髪の毛いじくりたいなぁ」
 そう言ってまた、髪を梳くのに戻った。
 それを聞いてわたくしは胸を撫で下ろした。
 うつむいていた顔をあげると、鏡に映るハルトマン中尉と視線が結ばれた。
「生きてるよ」
 と彼女は言った。
 わたくしの考えていたことが察せられていたのだ。
「でもね、いろいろむつかしいんだ私たち」
 なんだか長い話を聞かされるはめになりそうだ。そんな予感がした。
 でもわたくしには愚痴なんて聞いてやる趣味はない。
 髪を触らせてあげているのだ。その上、そんなことまでしてやる義理もない。
 だから言ってやるのだ。
「生きていれば、また髪なんていくらでもできるでしょ」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 そしてまたわたくしは、鏡から顔をそむけてしまう。
「ありがと、ペリーヌ」
 視界の片隅のハルトマン中尉は言った。その表情ははにかんでいる。

「ほら、前見て」
 ハルトマン中尉はそううながすものの、わたくしは鏡を見ることができない。
 今の自分の顔がどうなっているかなんて鏡を見なくたってわかる。
 そんなもの、わざわざ見たくはない。
 わたくしは頑として無視。けれど彼女はしつこく同じことを何度も繰り返してくる。
「どうして前見ないの?」
「……別になんでもありません」
「顔が真っ赤だから?」
「そ、そんなことはありませんわ!」
 そんなことはない。断じてないのだ。
「じゃあ前見てよ」
「わたくしがどこを向いていようと関係ないでしょう」
「お。そんなこと言うならこうしてやる」
 するとハルトマン中尉はてきぱきと手を動かしていって、わたくしの髪になにかをやりだす。
「目だけでいいから鏡見て」
 しばらくしてその手が止まり、彼女は言った。
 気になりもしたのでしぶしぶながら、言われたとおり鏡を見やった。
「なんですの、これは!?」
 わたくしの髪が一本の三つ編みになっていた。
 これではまるで――
「気にいらない? リーネとおそろいなのに」
「元に戻しなさい!」
 言い切るとハルトマン中尉は意外に素直に髪をほどく――かと思いきや、またなにか手を動かしはじめる。
「ひ、人の髪の毛でなにをなさいますの!」
「あんまり暴れると髪の毛抜けるよ」
 声を荒げるもむなしく、彼女は冷淡に告げてくる。
 わたくしはちらちら視線だけを鏡にやった。耳の上に集めた髪をリボンでくくって、同じく反対側も。
 今度はツインテールだった。
「どう? ルッキーニとおそろい」
「だから、元に戻しなさい!」
「じゃあ今度はこうだ」
 高く結っていた髪をそのまま下ろしてくると、先ほどと同じくふたつにくくった。
「どう? トゥルーデとおそろい」
「だーかーらー! 元に戻しなさい!」
「これもダメ? 可愛いのに」
「ダメです!」
「わがままなヤツ。この棘だらけ」
 わたくしのどこがわがままなんですの!?
 それにまた人を“棘だらけ”と。
「髪が長いといろいろできて面白いよね」
 なんてことを彼女は嬉々とした声で言う。
 じゃあ自分の髪でなさればよいでしょう。髪を伸ばして。
 そうこうしている間にも、ハルトマン中尉の手はよどみなく動く。
 くくっていた2本をほどかれると、今度は頭の後ろで1本に束ねられた。
 こ、これは――
「これならどう?」
「どうって、それは……」
 わたくしはまじまじと鏡を見つめた。鏡のなかの自分に魅入ってしまう。
 なんだか自分が自分でない、そんな錯覚に襲われる。
 椅子から立ち上がって、鏡の前でくるっと一回まわってみる。
 束ねた髪がそれにあわせて踊った。
「気に入った? 坂本少佐とおそろい」
「べっ、別に……」
「この棘だらけ」
 ハルトマン中尉はわたくしの頭を、ばんっと平手で叩いた。
「痛いじゃないの!」
「ばか」
 吐き捨てるように彼女は言うと、わたくしの髪を束ねていたリボンをすーっと引っ張る。
 ばらばらと髪がひらいて揺れ、やがてそれは落ち着いた。

「さ、行くよ。ミーナの歌が始まっちゃう」
 ハルトマン中尉はわたくしに背を向けると、さっさと歩き出す。
 使ったブラシは床に放り投げられている。こんなところはいかにもらしい。
 わたくしはそれを拾いあげようとして、そこで手が止まった。
 髪を人にしてもらうなんてどれくらい振りだろう――ふと、そんなことを思った。
 そういえばここに来るより前は、髪を人にしてもらうことが多かった。
 お母様やお祖母様、世話係のメイドや第602飛行隊のみんなに。
 この基地に来て以来、自分の髪は常に自分でするようになった。
 もう慣れてしまったので今では苦にならないけれど。
 でもたまにはこういうのも悪くはないな、なんてことを思う。
 誰かに髪をしてもらうのも。鏡越しに顔を合わせあって。おしゃべりをして。

「ほら、早く。棘だらけ」
 ドアの前に立ち止まったてハルトマン中尉が、わたくしを呼ぶ。
「だから、そう呼ぶのはやめなさいと――」
 わたくしは鏡台に手に持ったブラシを置くと、彼女の方に足を踏み出す。
「気に入らないの、棘だらけ」
「気に入るはずがないでしょ」
「えー、誉めてるのに」
「どこがですの!?」
「まだ気づかないの?」
 気づくってなにが……
 ハルトマン中尉はやれやれとでも言いたげな顔をする。
 答えあぐねるわたくしに、彼女は問いかけをした。

「棘があるのはどんな花でしょう?」


『ストライクウィッチーズでシチュ題四十八手』応募作品

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