第21手 キス・唇に


 ブリタニアにて新たな職務についていたビューリングは、初めての休暇をもらったものの、特に用事もなく、まだ開いていない荷物の多いアパートで部屋の真ん中にすえた古ぼけたひとりがけのリクライニングソファにマグカップ片手に読書する。
 時折、何もないサイドテーブルに無意識に手を伸ばしては、言い訳をする相手もいないのに、ふんと鼻を鳴らした。
 何回かそんなことを繰り返し、太陽が真上に達しかけていた頃、薄いドアの向こうから階段を駆け上がり、廊下を走る足音が聞こえる。
 隣人だろうか?
 ぽすんと本を胸に置き、ちょうど投げ出した足の向こうにある玄関ドアを見つめると、躊躇もノックもなくドアノブが回り、ばんと開け放たれた。
 大急ぎでやって来たのか、乱れた栗色の髪とその持ち主の少女を認識して、ビューリングは目を丸くした。
「ウィル、マ?」
 腰を折り、ぜえぜえと息を切らしたウィルマは、ようやく顔を上げ、笑顔を差し向ける。
「暇でしょ」
 疑問ではなく断定して、ウィルマはつかつかとブーツを鳴らしてビューリングに近づいて膝をつき、彼女が肘掛に押し付けた腕に手を重ね、今にも、彼女の使い魔であるスコティッシュフィールドの耳と尻尾が伸びだしそうなほどの愛らしさで上目遣いに見上げた。
 ウィルマのアッシュブルーに近いその瞳の色に映る自分自身を見つけ、ビューリングは頬に温もりが集まり始めている事に気がついて、胸元に置いた本を閉じ椅子から起き上がった。
「……いきなり来たかと思えばなんだ急に」
「だって、私たちって次会う約束してないし。突発的に会いたくなったらこういう形になっちゃうわよ」
 ウィルマには珍しく、歯切れ悪くかつ照れくさそうに言葉を接ぐものだから、ビューリングはカップの中のコーヒーをすべて飲み下すとキッチンで水洗いし、蛇口を閉じた。
「今日は、非番なのか?」
「……昨日出撃したからね。万一ってことがあればすぐ戻らなきゃいけないけど」
 ゆっくりと振り返ったビューリングはウィルマの向こうの窓から漏れる太陽の光をしばらく見据えた後、カウンターに置いた鍵束を握り締め、玄関ドアそばにかけた革のジャケットを手に取った。
「一緒に来るか?」
 
 銀色の髪と栗色の髪を風に乱しながら、ビューリングが運転するバイクは街の中心部を離れていき、次第に舗装されていない道ががたがたと車体を揺らし、目に入る風景にも緑が占める割合が増え始めた。
 ウィルマはビューリングの革ジャケットを握る指先に力を込め、背中に頬を押し付けた。

 アパートを出てどれぐらい経っただろうか。
 バイクは少しずつスピードを落としたかと思うと停車して、バイクを降りたビューリングはゴーグルを外して髪を手ぐしで整える。
 ウィルマはバイクに跨ったまま、岬の向こうに広がる海を遠望した。
 ウィルマの足のそばにある添えつけのバッグを開けて、街で調達したサンドイッチとボトルに詰めたコーヒーそしてレジャーシートを引っ張り出して敷いた。
「……街をぶらついたほうが良かったか?」
「ううん、そんなことないわ」
 ウィルマは慌てて笑顔を作って寄越す。
 ビューリングはその作り笑顔に即座に気がついたが、特に咎めるでもなく腰を下ろして、コーヒーを注ぎ、紙袋から取り出したサンドイッチにかぶりついた。
 ウィルマはいびつになり始めた空気を察知し、バッグに入れておいたお気に入りのキャップとゴーグルを付け替えると、ビューリングの隣に座って、同じようにしてサンドイッチにかじりついた。
 一緒に出かけられて嬉しいのに、なんであんな中途半端な笑顔作っちゃうかな――
 ウィルマは思わず吐き出しそうになる息を噛み殺して、コーヒーの注がれた容器に手を伸ばす。
「ウィルマ」
 声がかかった時には、コーヒーがウィルマの舌を軽く焼きつかせた。
 ビューリングは声にならない短い悲鳴を上げるウィルマの手から滑り落ちそうになった容器をキャッチし、更なる悲劇を防ぐ。
「猫舌なのだから、気をつけろと言おうとしたのだが……」
 早く言ってよと叫びだしたいけども、しびれた舌が言うことが聞かず、ウィルマは瞳一杯に浮かんだ涙をこぼさないよう努める。

 火傷で痛む舌でサンドイッチを平らげたウィルマは、隣でじっと海を眺めるビューリングの横顔を見つめる。
 ウィルマにとっては珍しく映るその光景が、口を滑らさせる。
「禁煙、してるの?」
 ビューリングは視線を移動するだけでウィルマを見、また戻す。
「新居に移ったし、別にそこまで必要なものではなかったからな」
「……ヘビースモーカーだった癖に」
「お前だってやめろと言ってただろう」
「あ、もしかして私のため?」
 本気と冗談を曖昧に入り交わらせながら、ウィルマはにやりと笑ってみせる。
 胸を跳ねつかせながら。
 ウィルマのその言葉にビューリングは虚をつかれたような表情を浮かばせるが、コーヒーを口に運んで、何とかごまかしてみせる。
 物足りないのか、ボトルを傾けてみるが今飲みきったもので最後だったのか、しずくが何滴か落ちるに留まった。
 ニコチン切れのせいかのか、そわそわしているビューリング。
 ウィルマは真意が聞き出せなかったことに落胆しつつも、ようやく調子を取り戻し始めたのか、ポケットの中を探り、ビューリングの目の前で手を広げる。
「なんだ?」
「ハッカ飴。扶桑のだから結構良い品質よ」
「さすが商人の娘だな。扶桑か……」
 飴を口に放りながら、思索顔のビューリングに、ウィルマは肩を押し付けた。
「スオムスの上官が扶桑の人だったんだっけ」
「まあ、な……」
「ねえ、どんな人なの?」
 その言葉に記憶の糸を手繰り寄せたのか、ビューリングは口の中でくくくと笑う。
「流されやすいやつだった」
「なにそれ?」
「言葉のままさ。無論、空では優秀だったがな」
 かつての上官に想いを馳せる様にビューリングは空を見上げた。
 スオムスの寒空の中を飛ぶ彼女はどんなだったんだろう。
 彼女とともに戦い、そして、オストマルクで負った傷を癒してくれた少女たちはそれぞれどんな人だったんだろう。
 私は、彼女にとってそんな存在になりえるのかしら――
 そう考えながら、いつまでも見ていたくなる様な横顔をウィルマは大きな瞳を瞬かせながら、収め続けた。
 ウィルマの視線に気づいたのか、ビューリングは顎を引いて彼女を見つめ返した。
 ウィルマ自身でも気づいていなさそうな切ない表情に、ビューリングは考えるよりも先に、彼女の手に自分の手を重ねた。
 ビューリングにはウィルマが感じるおぼろげな不安まではわからなかったが、ただ、「大丈夫気にするな」ということを伝えずにはいられなかった。
 しかし、言葉としては出てこず、頬が上気し、絡み合った視線がほどける。
 ウィルマは意気地なしと心の中でつぶやいた。
「飴……もうないのか」と、苦し紛れにつぶやくビューリング。
 ウィルマはポケットを探る。
「ごめん。さっきので最……あ、あった」
「じゃあ、もら…」
 開きかけた唇に、ウィルマのそれが重なり、薄荷の香りがビューリングの口の中に広がった。

終わり


『ストライクウィッチーズでシチュ題四十八手』応募作品

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