第36手 「はい、あーん」年上から年下へ
1941年3月19日未明、床についたゲルトルート・バルクホルンは夢を見る。
士官学校を出、正規士官として軍への正式採用が決まった頃。
自分専用にあつらえたはずなのにまだ着慣れない軍服に戸惑い、新たな門出に緊張と高揚が複雑に絡む。
笑顔のクリスが語りかけ、抱擁をする。
誕生日おめでとう――
ゲルトルートも笑顔で応える。
それ以外の選択肢なんてないのだから。
弛緩した頬が部屋の冷気にさらされて、ゲルトルートは夢から覚めたことを認識する。
静かに起き上がり、薄暗がりの中で、倒された写真立てに目を側めて、小さく小さく息を吐き出した。
起床時間を知らせるホーンの音が鳴り響く。
ミーナは毎朝同じ時間に各隊員の部屋に面した廊下を横切るが、いつもは聞こえてくるはずのゲルトルートのストレッチ中のかけ声が聞こえないことに気づき、足を止めると、彼女の部屋のドアをノックする。
しばらく待ってみるが、返事がないため、一声かけてからゆっくりとドアを開けた。
服の着方でも忘れてしまったのか、ゲルトルートはシャツを羽織っただけでベッドの端に腰をかけ、足元に転がるブーツに視線を落としていた。
初めて見るその様子にミーナは激しくもないが、些細とも言いがたい動揺を覚え、足早にゲルトルートに近づいて、手を伸ばす。
「トゥルーデ、具合が悪いの?」
ゲルトルートの肩先が小さく揺れて、今目覚めたような顔でミーナを見上げた。
「ミーナ、どうかしたのか?」
こっちの台詞なんだけど――
そう思いながらも、ミーナは困ったような笑い顔を見せるにとどめ、そばにあるゲルトルートのジャケットを手に取るとぼうっとしている彼女の肩にかける。
「もう起床時間よ」
ゲルトルートはその言葉にようやく我にでも返ったのか、シャツのボタン、ジャケットのボタンを留め、ブーツを履き駆け出した。
「トゥルーデ」
「なんだ?」
「タイを忘れてるわ」
ミーナははっとするゲルトルートの首の後ろに手を回し、タイを締める。
「ねえ、どうかしたの?」
「……いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
「本当に?」
「ああ、何も問題はない」
部屋を出て行くゲルトルートを見送って、ミーナは彼女の部屋を一望し、倒れた写真立てに寂しげな表情を向ける。
午後のティータイムが終わり、格納庫に座り込んだエーリカがうつらうつらし始める。
隣で腕組みをし、じっと待機をするゲルトルートはじろりとエーリカの頭頂を見つめた。
「おい、ハルトマン」
「あーい……」
ゲルトルートの膝にしなだれかかるエーリカ。
限りなく寝言に近い相槌に首根っこを引っつかんでやろうかと思った矢先、背後から声がかかり振り返った。
「ミーナ、何か問題でも起きたか?」
ミーナの登場を深刻そうに迎えるゲルトルートにミーナは慌てて手を振った。
「いいえ。様子を見に来ただけよ」
「そうか。問題ない。いつでも行ける。ようやくMG42の二丁装備にも慣れてきた」
あくまでも生真面目に、一歩間違えれば機械のように返すゲルトルートにミーナはつい寂しげに見つめ返してしまいそうになりながらも、それを悟られぬよう隣に並び、口を開いた。
「明日……」
「……何か予定があったか?」
ゲルトルートのその言葉にミーナはふためくが、サイレンが鳴り響き、エーリカはぱっと起き上がり、美緒とペリーヌがやって来る。
ミーナがインカムのスイッチを入れる。
「ガリア方面から敵が侵攻中。小型のようだけど、六機以上の反応があるそうよ。みんな、気をつけて」
「「了解」」
ミーナを残し、ゲルトルート、エーリカ、ペリーヌ、美緒は直ちに空へと舞い上がっていった。
出撃組は眼下に高速で直進してくる敵機編隊を発見する。
数は十機。
前衛のゲルトルート、エーリカはくるりと身を翻すと、エーリカから急降下して狙いをつけた敵機に初弾を食らわせる。
敵機の装甲が爆ぜ飛び、エーリカは上昇をする。
すかさず、ゲルトルートが二丁のMG42で装甲が修復する前に敵機内部に弾を叩き込み、さっそく一機を墜とした。
後衛の美緒は安全装置をはずし、叫ぶ。
「ペリーヌ、我々も行くぞ」
「はい!」
堅実に、確実に、ウィッチ達は敵機を次々とドーバー海峡へと散らせていく。
残り二機。
エーリカが放たれるビームを最小限のシールドで弾き返しながら、一気に距離を詰めた。
「いただき!」
天性の勘でコアの位置を予測し、少し多めに弾を撃つ。
が、すんでのところで回避され、コアを破壊するには至らず、上空のゲルトルートを見つめる。
ゲルトルートは止めを刺そうと急降下をするが、一方のストライカーが煙を吹き、バランスを崩す。
別の一機を墜とした美緒が異変に気づき、叫ぶ。
「ハルトマン、ペリーヌ、バルクホルンを頼む!」
美緒は背負った刀を抜くと、最後の一機をコアごと両断した。
散っていく破片を眺めながら、刀を納め、エーリカとペリーヌに両脇から抱えられたゲルトルートへ近づいた。
「バルクホルン、怪我はないか?」
「ああ……」
「整備ミスかな?」
「おそらくそうだと思いますわ」
美緒は基地のミーナに語りかける。
「ミーナ、敵機を殲滅した。これより帰投する」
ミーナは戻ってきたウィッチ達を出迎えるが、エーリカとペリーヌに抱えられたゲルトルートを見て、駆け寄った。
「被弾したの?」
「まさか。ストライカーが火吹いたんだよ」
エーリカはそう言いながら、ゲルトルートのストライカーをハンガーに納める。
ゲルトルートは、装備を戻し、ストライカーを脱ぐとブーツを履いて基地へと戻っていく。
使い魔の耳と尻尾を出したまま。
その姿に一同は目を丸くし、ミーナは後を追った。
「トゥルーデ!」
「……なんだ?」
「あなた魔力が……」
ミーナの言葉にゲルトルートははっとして伸びたままの尻尾と耳に気がつき、制御できず湧き上がってくる力に慄く。
「ねえ、トゥルーデ、あまり抱え込まないで。いくらでも力になるから」
ミーナは手を伸ばしかけるが、ゲルトルートは咄嗟に避ける。
「よせ! この状態じゃ大怪我させてしまうかもしれないだろ……」
「けど、このままにしておけないわ!」
「一時的なものだ! 時間が経てば……治る」
ゲルトルートは、今日初めて感情を露にすると、逃げるようにその場を去った。
「精神的なもの……かもしれんな。思い当たる節はあるか?」
美緒の言葉にミーナは振り返り、しばしの間を置いた後、うなづく。
「そうか……。バルクホルンが言うとおり、時間が解決してくれるかもしれないが。最近のあいつを見ていると早急な解決はあまり期待は出来ないな」
少しばかり遅くなった夕食の時間が終わり、ミーナは誰も座っていない椅子に視線を移す。
不意に、夕食が載ったトレイが差し出されて顔を上げる。
笑顔のエーリカ。
しかし、呆けているミーナにやれやれとため息をつき、
「中佐、この夕食を姉バカ大尉のところに持ってっていただけますか?」
と、付け加えた。
ようやくエーリカの真意を汲んで、ミーナは自信なさげに小さく笑いながら、トレイを手に取った。
エーリカはミーナの背後に回りこんで背を押した。
「隊員のケアも隊長のお仕事!」
ミーナはゲルトルートの部屋の前に立ち、ドアノブがあらぬ方向に向いていることに気がついて苦笑する。
そっと背でドアを押し、中へと入る。
薄暗闇の中、ベッドの上でゲルトルートが起き上がる。
「誰だ?」
「私よ」
ミーナはまっすぐ進み、机にトレイを置くと、スタンドの明かりをつけ、ゲルトルートの着衣の惨状を見てのけぞりかける。
ボタンはすべて飛び、付近も引き裂かれたようにほつれている。
「これでも精一杯力を抜いたんだが……」
ミーナはベッドに座ると、そっとゲルトルートのタイに手を伸ばして引き、ぼろぼろになっている服も慎重に脱がせ、スポーツブラとズボンだけの楽な姿にする。
ゲルトルートは照れくさそうに頭をかく。
「すまない。世話をかけて……あと、さっきは……怒鳴って悪かった」
「気にしてないわ。お腹すいたでしょう?」
目を細め、いたわるようにそうささやきかけた。
ゲルトルートはかすかに頬を赤らめながら、こくんとうなづく。
ミーナはトレイを自分とゲルトルートの間に置く。
ゲルトルートはパンに手を伸ばすが、ミーナが手を重ねて静止したかと思うと、パンを一口サイズにちぎりゲルトルートの口元に近づけた。
先ほどよりもうんと頬を赤くするゲルトルート。
「パンぐらい、さすがに自分で……」
「口、開けて」
上官だからなのか、それとも別の理由からなのか、逆らうという選択ができないゲルトルートはミーナが寄せたパンを口に入れるともぐもぐとよく噛んで飲み下す。
「美味しい?」
「……ああ」
ミーナは、久々に見たゲルトルートの照れ顔に満足を覚え、くすりと微笑んだ。
トレイの食物がすべてゲルトルートの胃に収まった頃、恥ずかしさのせいなのか、ゲルトルートはぐったりしたように肩を落とす。
が、その頭と尾てい骨の辺りからは、使い魔の耳と尻尾が垂れ、まだ魔力がコントロールし切れていないことを表していた。
ミーナは足元にトレイを置いて、話し始めた。
「休暇、なかなか取らせてあげられなくて、ごめんなさい。クリスに会えないのは、つらいわよね……」
ゲルトルートは顔を上げ、倒れた写真立てに目を向け、ミーナの横顔を見つめた。
「休暇が取れないのは仕方がないさ。それに……会えないことよりも、クリスを守れなかった。その事実が……つらいんだ」
「あなたのせいじゃない」
「何度も、そう言い聞かせているさ。クリスを失いかけて、ミーナがそう言ってくれたときから……。けど、なかなか簡単にはいかなくて。私は……器用なほうではないから。感情を押し殺すことでなんとか保ってる」
ミーナはぴくりと肩を震わせた。
沈着冷静。
それが彼女にとっての普通だと思っていた。
思い込んでいた。
けど、本当は――
「私、まだまだね。あなたのこと知った気になってて、まだ何も分かっていなかった。ここにいるみんなの中では一番長くいる人なのに」
「一番長く……。そういえば、そうだったな……。目まぐるしすぎて数える暇もなかった。誕生日だって、フラウに言われて……思い出してしまう有様だった」
「仕方がないわ。ここは曲がりなりにも前線基地なのだから……」
「だが、親友の誕生日を忘れてしまうのは……。プレゼントも、用意できなかった……」
次第にゲルトルートは口数が多くなり、表情も活き始める。
ミーナは口角を頬に埋め、ゲルトルートに向けて両手を広げた。
「なら、今ちょうだい」
「今、か?」
「ええ、抱いてちょうだい」
「……な!」
なにやらいらぬ誤解をしている風のゲルトルートに、ミーナはすかさず近づいて、彼女の背中に手を回した。
「うわわ。ミーナ、よせ。まだ力の調節が出来ない……」
「大丈夫よ。落ち着いて、深呼吸して……」
離れようとしないミーナに観念したのか、ゲルトルートは言われたとおり、深く息を吸って、吐いてミーナの背中に手を回す。
「ほら、大丈夫じゃない」
「あ、ああ……」
ゲルトルートは恐る恐るながらもミーナの背中を抱き寄せた。
ミーナもゲルトルートを抱き寄せ、彼女の肩に頬を乗せる。
魔力をコントロールできなかったためか、すっかり疲弊しきっていたゲルトルートはミーナと抱きしめあった数分後には眠り込んでいた。
ミーナは、使い魔の耳が消えた彼女の頭を穏やかになでた。
部屋の時計に目を向け、日付が変わっていることに気がつき、そっとゲルトルートの頬に唇を寄せ、離した。
「お誕生日おめでとう、トゥルーデ」
終わり