第47手 のろける
珍しいこともあるもんだ。
くあ、とあくびをかみ殺した目の前の堅物に、シャーロットは物珍しいものでも見たように目をぱちくりさせた。
今日は霰でも降るんじゃないのか、と待機室の窓ごしの多少雲の多いブリタニアの夏空に目をやる。
起床時間前に起きて身支度を済ませ、朝っぱらから威勢のいい号令なんて発しながら体操までする習慣のあるこの同僚が、朝のシフトで眠たげに目をしばたかせるのを見るなんて。
「何をにやついている」
バルクホルンが、あくびで涙のにじんだ目をうろんげにして問うた。
「朝から眠そうなあんたが珍しくてさ」
「お前は私をなんだとおもっているんだ」
なにって。シャーロットはそうだなあ、とワンクッション置いて、
「ハルトマン中尉の目覚まし時計」
と、言った。
何かしら、おなじみのジョークまじりの憎まれ口が返ってくるのかと思ったが、
反してバルクホルンは物憂げな目をして、押し黙ってしまった。拍子抜けする。
「…目覚まし時計か…それもそうかもしれない」
「どうしたんだ?」
「眠りに入る前は、確かに隣に寝ていたんだ。だが妙に寝苦しくて目を覚ましたら、
あいつがどんどん私のほうに寄ってきていて、つまりベッドのどまんなかで寝ていて…
まったく、私のベッドなのに、私の寝る場所がないなんて、おかしいじゃないか。
つまりはあいつにとって、横に寝ている私なんてベッドから落ちても差し支えない、
枕元の目覚まし時計程度ということか…」
「つまりその、あんたの寝不足はハルトマン中尉のせいってわけかい」
「そうだ。…私のことなんておかまいなしに、私の腕にひっついて幸せそうな顔をして眠っていて、
まったく、あいつの寝顔がこんなに憎らしいと思ったのは久しぶりだ」
「なんだ、のろけか」
「な…!?」
「一緒に仲良く寝たんだろ」
そう言うと、堅物は、赤くなった顔をこんどはしまった、というふうに凍りつかせた。
だがもう手遅れである事にすぐさま気づき、こほん、とわざとらしく咳払いをし、形勢を立て直した。
「仲良くかどうかはともかく、確かに昨日はあいつが私のベッドで寝たのは確かだ」
開き直ったか。
「へえ、寝たの」
わざと、含みをもたせて下世話なかんじで言う。
「だから、寝たといってるだろう。何度もいわせるな」
バルクホルンは文字どおりの意味をとって、はっきりと言い切った。さすが堅物だ。
そうかい、と言って目をすがめ、へえ、とにやついた顔をしてやると、さっきシャーロットの言った
『寝た』のニュアンスに思い至り、顔をカッと赤くし、ぐ、と奥歯をかんで黙った。
黙ってしまってはからかいようがない。シャーロットは苦笑して、冗談だよ、と繕うように言った。
「下世話なジョークはよせ、リベリアン」
「これだからカールスラントの堅物は」
まだ耳が赤いって事を、教えてやるべきかやらないべきか。
「あんたのそんな初心な感じ、かわいいよ」、なんて言ったら、そのへんの椅子でもぶん投げられそうな気がして、シャーリーはははは、と笑った。
「どーする?コーヒーでも淹れてくるかい」
「待機中だ」
「コーヒーの一杯くらいいいじゃないか」
「だとしても、お前のコーヒーなど薄くて飲めるか」
「じゃああんたのコーヒーをごちそうになろうかな」
言うと、バルクホルンはため息をついて、なら一杯だけだ、と席を立った。
ごちそうになるならのろけ話より、こいつの淹れるきっちり蒸らして淹れた、濃いコーヒーのほうがいいに決まっている。
Fin.