第30手 睦言・近距離で
思い出す、あの日の出来事。パ・ド・カレーからの撤退と損失。ダイナモ作戦。
ミーナの大切な人を永遠に失い、彼女に唯一残された一着のドレス。
真紅に染まるシルクは、かのひとの血か涙か、ミーナ自身の“血の涙”か。
月も隠れ、珍しく雨風が強いその日の晩。
美緒はミーナの部屋に居た。平静を装いつつも、内心気が気ではなかった。
ドレスを抱きしめ、涙するミーナ。傍らの机上に置かれた、一挺の拳銃。
以前、銃口を向けられた記憶が甦る。
但し、今回の危機は、美緒自身にではなく、ミーナその人に向けて感じ取っていた。
軍人であり武人である美緒ならではの、勘か、それとも。
思い切って近付く。ミーナが拳銃に手を伸ばす前に、ドレス毎、腕を組み伏せる格好で後ろから抱きしめる。
何か言いたげなミーナを制し、美緒は名を呼んだ。
「ミーナ」
「……」
「お前の大切な人……その身が叶わずとも、無事ミーナを始め多くの人員が撤退出来た。お前もこうして隊で指揮を執っている。
どれほど泉下で喜ばれていることか」
「あの作戦のせいで、私は。……私はっ!」
「ミーナ」
声が震えている。四年と言う月日ですら、ミーナの傷を癒やす事は出来なかった。
深々と刺さり、常に疼く棘の如く。
だが棘はいつか抜かなければならない。そうすれば出血もするだろう。もしかしたら止まらないかも知れない。
それでも、決断は必要だ。今がまさにその時。
美緒は、ふうとひとつゆっくり息を吐くと、ミーナに囁いた。
「お前には、大切な仲間、家族が居る。そしてこれからも、必要だ」
「……」
「“崇高な犠牲”となってネウロイの前に散るか、生きながらえて祖国奪還の鬼神と化した己を見つけるか」
ミーナは黙ったまま、美緒の言葉を聞いている。
「私には、どちらも出来ない。お前の思い人や、ミーナの様には」
抱きしめる力を緩め、ミーナの顔を目の前に持ってくる。
すすり泣く声は途切れたが、彼女の瞳は潤み、今にも溢れそう。
「だから、私はお前の求めるものになろう」
「美緒、それって……」
「起きた事をただ悔やむだけでは、心は癒されず救われない。時にはあえて忘れ前を向き未来を眺める事も、必要だ」
「でも、貴方は」
「ミーナの為になら、私は……」
ドレスが床に落ちる。腕が美緒の肩にかかり、彼女を“絡め取る”。
美緒は何も言えなかった。ミーナはただひたすらに美緒の名を呼び、彼女を求めた。
雷鳴が窓を通して二人を一瞬照らす。稲妻の光は立て続けに二度落ち、ふたりの姿をストロボみたいに浮かび立たせ、消す。
今夜は荒れそうだ。何もかも。
涙を流しながら求めてくるミーナを優しく抱きしめ、撫でながら、美緒はベッドに沈む。
ミーナと共に。
口吻も酷く乱暴で、身体の扱いも荒い。でも良かった。それでミーナの心に、一筋の光でも見えたのなら。
止まぬ雨無し、明けぬ夜は無し、とは扶桑の言い伝え。
願わくば、ミーナにも。
心の安寧のもととなれば、良いのだが。美緒はそう願い、ミーナを抱きしめた。
end