第3手 運命線重ねる


 その手は魔法のように見えた。
 料理にお菓子作り、裁縫にアイロンがけもこなす、リーネさんの手。
 まあ、なにか凝ったものを作ろうとしては、たまに失敗してしまうことはあるのだけれど。
 ガリアに戻って彼女とふたりで暮らすようになって、家事は彼女にすっかり任せきりだ。
 悪いとは思いつつも、ついそうしてしまう。
 だってイヤな顔ひとつせず、むしろ楽しそうにそれをしてしまうのだから。
 きっとリーネさんはいい母親になるんだろうな、なんてことをわたくしは思う。

「ちょっと背中いいですか?」
 わたくしがリビングのソファーでくつろぎ、読書をしていると、リーネさんがそう訊ねかけてきた。
「背中? どうかしたの?」
 わたくしは本から視線をあげ、彼女の方を見た。
「サイズがちゃんと合ってるか、たしかめたいんです」
 と、そう言う彼女のその手には、白い毛糸と編み棒、それと編みかけのセーターがある。
 秋も深まり、もうじき冬を迎えようとしている。
 空いた少しの時間を見つけては、リーネさんははせこせこと編み物をいそしんでいた。
 今もまた、そうして編み物をしていたのだろう。
「別に、かまわないけど……」
 わたくしはソファーにうずめていた背をあげ、彼女へと背を向けた。
 ただ背中を貸してじっとしているくらいなら、別にわざわざ拒むようなことでもない。
 リーネさんはわたくしの後ろによると、背中に編みかけのセーターをそっと重ねた。
「よかった。ぴったり」
「そ、そう?」
 もしかして、これはわたくしに……?
「たぶん、これで大丈夫」
 と、リーネさん。
 なにがたぶんなの? ぴったりなんじゃないの?
「ペリーヌさんって芳佳ちゃんと同じくらいの肩幅だから」
「あー、そうなの」

「芳佳ちゃんに送ってあげるんです。扶桑もやっぱり冬は寒いって聞いて」
 リーネさんはさらにつけ加えてくる。
 わたくしは憮然とそれを聞いた。
「そうだ。ペリーヌさんもいっしょに編み物しませんか。楽しいですよ」
「へ?」
 と、間のぬけた声を出すわたくし。
「それでいっしょに扶桑に送るんです」
 彼女はさらに提案してくる。
 が、わたくしにそんな気は一切ない。まったく。これっぽっちも。
 なぜあんな豆狸に、わたくしがそんなことをしてあげなきゃならないのか。
 それに、わたくしが編み物なんて……
「や――」
 やるなら、あなたひとりでやりなさい。わたくしを撒きこまないで。
 わたくしはきっぱりと断ろうとした。

「きっとすごく喜びますよ、坂本少佐」

 が、わたくしの言葉にかぶせてリーネさんはそう言いい、
 言いかけていたわたくしの言葉は呑みこまれてしまった。
 ……いきなりなにを言い出すのよ、この子は? 意味がわからないわ。
 わたくしは言いかけだった言葉を改めて、彼女に言ってやった。
 や――
「やってあげてもいいけど」

 そうして、わたくしと編み物との格闘が一週間続いた。
 いや、まだ続いている。終わってない。ぜんぜん進んでいない。
 マフラーなら簡単だからという彼女の言葉を信じたのが間違いだった。
 そもそもわたくしは、編み棒を持つのだってこれが生まれてはじめてなのだから、仕方がない。
 リーネさんはつききりで教えてくれて、それは丁寧なものではあったけれど、
 わたくしは一向にそれがうまくできずにいた。
 少し編んではぐちゃぐちゃになってほどくの繰り返し。
 三歩進んで二歩さがり、あるいは三歩、さらには四歩さがってしまうこともある。
 認めたくないけど、今となっては認めてしまう他はない。
 つまり、わたくしは不器用なのだ。

 わたくしに教える片手間にセーターを完成させ、さらにはもう一枚編みはじめている。
 でも、どうしてそんなに編んでいるのかしら?
 しかも柄も前のと同じだし。
 リーネさん本人が着るにはサイズも違うようだし、まさか同じものを二枚も送るつもりなのだろうか。
 気になりはしたけど、口にはしなかった。

「こう?」
「違います」
「じゃあ、こう?」
「そうじゃなくて」
 わたくしの傍らで、同じく椅子に座るリーネさんが、横からいちいち口を挟んでくる。
 一向にうまくいかないわたくしにも、彼女の熱心な指導は変わらない。
 けれど、そのことが逆に辛くもあった。呆れられでもしてくれた方が気が楽だった。
「そうじゃなくって――」
 彼女は言うと、椅子から腰をあげ、わたくしの後ろに立った。
「こうです」
 そしてわたくしの手をそれぞれ取って、少しだけやってみせる。
 そういうことに無頓着なのだろうか、背中に彼女の胸があたってくる。
 ……別に、彼女が気にしてないなら、わたくしが気にすることでもないけど。
 それより目の前のことに集中しないと――
 リーネさんの手が離れて、今度はわたくしひとりでやってみた。
「こう?」
 わたくしは訊いた。今度こそできたんじゃなくって?
「違います」
 が、彼女はそう言って首を横に振る。
 とうとうそこで、わたくしはキレてしまった。

「もうやめましょう」

 わたくしはそう言い、手にした編み棒を傍らに放り投げるように手放した。
 そもそもわたくしには、こんなこと向いてなかったのだ。
 はじめからわかりきっていたことなのに、それを彼女にそそのかされて――
 こんなこと、時間とエネルギーの無駄でしかない。
 わたくしはすっかり、癇癪を起こしてしまっていた。

「どうしてですか?」
 けれど、彼女は戸惑ったように訊いてくる。
 そんなこと、わざわざわたくしの口から言うことでもないでしょ。
 けれど、それでは腹の虫が治まらない。
「そんなのっ、ぜんぜんうまくできないからに決まってるでしょ!」
 わたくしは吐き捨てるように言った。それで少しはすかっとした。
「……あなただって、本当は呆れてるんでしょ?」
 気持ちを落ち着けて、わたくしは訊ねかけた。
 彼女にだって、いつまでも迷惑をかけっぱなしにするのもよくない。
 ――けれど、彼女はふるふると首を横に振る。
「そんなことありません」
「嘘おっしゃい」
「本当です」
 リーネさんはそう言うと、わたくしの前にやってくる。
「うまくできないのは、まだペリーヌさんがはじめたばかりだから」
 なにを言うのかしら? これ以上続けてうまくなるとでも?
 恥ずかしながら、とてもそうは思えない。
「最初はみんなそうなんです。私だってそうでした」
「……リーネさんも? あんなにうまいのに?」
「だって、もう十年くらいやってますから」
「じゅうねん!?」
 わたくしは思わず声をあげた。
 それが老婆の言葉であったなら別に気になどしなかったけれど、
 彼女はわたくしと同じく、まだ十代もなかばなのだから。
 十年――わたくしにはそれが途方もなく長い歳月に思えた。
 でもそんなものはやはり、わたくしにはなんの励ましにもならない。
 自分の十年後がどうなってるかなんて、わたくしにはとても想像がつかない。

「ペリーヌさん、私たちって背丈おんなじくらいですよね?」
 彼女はわたくしの元にしゃがみこむと、そう訊いてきた。
 なにかしら、急に?
 彼女の方が何センチか高いけれど、背の高さはそんなに違わない。
 わたくしは黙ってうなずいた。
「だったら――」
 彼女は左手でわたくしの右の手首を取り、そっと持ち上げた。
 そして右手で、固く握られていたわたくしの指を、一本一本を持ち上げるようにしてひらく。
 なにをするの、この子は……
 わたくしが戸惑っていると、彼女は右手のひらをそわせるように重ねあわせて、そして言った。

「ほら、私と変わらない」

 その言葉に、微塵の揺らぎもなかった。
 ドキリと一瞬だけ、わたくしの胸の鼓動が高鳴る。
 それを落ち着けて、そして思った。
 ……手の大きさがなんだというのか。
 それと器用さに関係があるのかしら? いいや、ないわ。
 けれど、リーネさんは上目づかいで、わたくしの目をじっと見つめてくる。
 わたくしはそれから、目をそらすことができない。
「きっとペリーヌさんにもできます」
 と、彼女は言葉を続ける。
「みんな、できるんです。ただ、途中で投げ出すか投げ出さないかだけで」
 未だ、わたくしたちは手のひらを重ねあわせている。
 なんだか、わたくしにも分けてもらっている気がした。
 リーネさんの手の持つ、手のひらの魔法を。

「だから諦めちゃダメです」

 どこかで聞いたようなセリフを、リーネさんは口にする。
 彼女はこんなことを言う子だったかしら。ふいにそんなことを思った。
 はじめて会ったころの彼女は、いつもなにかに怯えているようだった。
 それがまさか、わたくしにこんなことを言うようになるなんて。
 人はいくらでも変われるということなのかもしれない。

 みんなが同じわけない。
 当然だ。人には得手不得手がある。
 思いどおりなんていくわけない。
 やればできるとか、そんなものはただの綺麗事、欺瞞でしかない。
 ――けれど、やっぱりやってみよう。
 だって、こうして言われっぱなしも癪だから。
 そもそも、彼女にできることがわたくしにできないなんて、そんなことが悔しくなって、
 だからもう少し、悪あがきしてみよう。

「もう一度、教えてくれる?」
 わたくしは合わせた手のひらを離して、再び編み棒を手に取った。
 リーネさんは顔をほころばせて、はい、とうなずく。
 彼女が教えてくれるなら、たとえ今は下手でもかまわない。
 先生がいいのだ。きっとうまくいく。

「なにかうまくなる秘訣とかないの?」
 わたくしは訊いた。
「楽しみながらやれば、すぐ上達しますよ」
「楽しみながら……」
「はい。私、お婆ちゃん子だったから、お婆ちゃんから教えてもらうのが楽しくって」
「そういうものかしら?」
「ええ――ほら、好きな人といっしょだと楽しいじゃないですか」
 きっとそれが、魔法の手の秘密なのかもしれない。
 そうして彼女は、そう訊いてきた。

「ペリーヌさんは楽しくないですか?」

 ……なんてことを言うのかしら?
 わたくしはその問いかけに答えなかった。


『ストライクウィッチーズでシチュ題四十八手』応募作品

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