Le Tour de 501
基地のハンガーの片隅に置かれた、フレームが煤けた一台の自転車。
トゥルーデは今まで気付きもしなかったその乗り物に目をやり、こんなモノがあったのかと首を傾げる。
「どうしたのトゥルーデ?」
エーリカがぽんと肩を叩いた。
「いや、あの自転車、どうしたんだろうな」
「基地の整備の人が使ってるとか?」
「それならあと数台は無いと不便だろう」
「ミーナに聞いてみたら?」
「ああ、あの自転車ね。確か何処かの軍からの補給品に混じっていたのだけど……」
昼食の最中、ふと聞かれたミーナは子細までは思い出せないと言った感じで首を横に振った。
「そうか。すまないな、急に」
「いえ、悪いわね、力になれなくて。それでトゥルーデ、あの自転車がどうかしたの?」
「いや……ちょっと気になっただけだ」
「そう」
自転車の事を聞きつけた美緒は芳佳に言った。
「ふむ、自転車か。よし、今度の訓練メニューに取り入れるか!」
「は、はい?」
突然の事に驚く芳佳。
「自転車か。堅物は乗れるのかい?」
ルッキーニをあやしていたシャーリーが興味深そうに聞いてくる。
「乗る位当たり前だ」
「でも話を聞くと、錆びてそうじゃないか。ここはひとつ、あたしに任せてみないか」
ニヤリと笑うシャーリー。
「リベリアン、お前……」
「何だよ堅物」
「まさか、自転車にエンジン積んだりしないだろうな」
「あれ、何で分かったんだ?」
「それは自転車じゃなく、もはやバイクだろうが!」
「あー、そう言われればそうかも。そう言えば、確かカールスラントのストライカーにジェッ……」
「断る」
「せめて最後まで言わせろ」
むっとするシャーリー、イラッとするトゥルーデ。
エーリカはそんな空気を吹き飛ばすかの様に、二人の間に割って入った。
「改造とかやめようよ~。ねえシャーリー、普通に直せない?」
「まあ、錆取って少し直して部品に潤滑油塗る程度だろ? オーバーホールならおやすい御用だ」
「じゃあお菓子一袋でよろしく」
「乗った」
エーリカとシャーリーのやり取りを聞いて、やれやれと肩をすくめる堅物大尉。
午後非番だったシャーリーは、いとも簡単に自転車を仕上げて見せた。
「ほれ、出来た。自転車は構造も割合単純だし、動力源が人力だからな。簡単なもんさ」
見違える様に、美しくなった自転車。フレームは磨かれ銀色に輝き、タイヤやチェーンも万全だ。
「ニヒー さっすがシャーリー」
「ちょっと乗ってみるか」
シャーリーはサドルに跨がり、よいしょっとペダルを漕いでみた。後ろの荷台にひょいと飛び乗るルッキーニ。
均一に塗られたグリスのお陰か、滑り出しは悪くない。
しかし、漕いでいるうちにみるみる速度が上がる。
ルッキーニは、シャーリーが軽い試験運転でなく、とあるひとつの目的……スピードに傾倒しつつある事を、その加速で感じ取り恐怖した。
「しゃ、シャーリー怖い、はやすぎ! ウジャーシャーリー耳出てる耳! 耳!」
「何処まで加速出来るかなっ」
「こらーリベリアン、何をやっているんだ! ルッキーニを振り落とす気か!」
様子を見ていたトゥルーデに怒鳴られ、後ろを見る。必死でしがみついているロマーニャ娘を見、はっと正気に返る。
キキッとブレーキを掛け後輪を軽くスライドさせながら、惰性で皆の元へ戻って来るシャーリー。
「いやー悪い悪い、つい」
「お前は何でもかんでもスピード出そうとするからな……見ろ、ルッキーニが怖がってるじゃないか」
「ありゃ、ごめんなルッキーニ」
「グスン、シャーリーのばか! こわかった」
「ごめんよルッキーニ、この通りだ。気分転換におやつでも食べよう。ハルトマン、おかしひとつ貰うぞー」
「ひとつだよー」
ルッキーニの手を引き、自転車と工具をそのままにハンガーから離れるシャーリー。
「おいリベリアン、この工具と自転車は」
「あー、堅物乗ってて良いよ。工具は後であたしが片付ける」
「まったく……」
トゥルーデは仕方ないとばかりに、自転車に跨がった。
エーリカはそんな同僚を見、声を掛ける。
「トゥルーデ、乗れるの?」
「当たり前だ。乗る位はな」
「じゃあ私後ろね」
ひょいと荷台の部分に腰掛ける。
「足、スポークに巻き込まない様に気を付けろよ」
「大丈夫」
ゆっくりとペダルに力を入れ、ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
「トゥルーデ」
「何だ、エーリカ」
「もしかして、すいすい~っとは乗れない?」
「そんな事は無い。ただ」
「ただ?」
「乱暴に運転するのはな。慎重にだな」
「トゥルーデはそうだよね」
「それに、後ろにお前が乗っている。無理は」
「心配してくれるんだ」
「あ、当たり前だろう」
その言葉を聞いたエーリカは、トゥルーデの背中に自分の身体を預けた。
腰に回される腕を肌で確かめ、ペダルを漕ぐ力をセーブしつつ、ゆっくりとハンガーから出る。
ハンガーを出ると、明るい陽射しが二人を包む。
「見ろ、エーリカ」
「どうかした?」
「こうやって自転車で基地の回りを巡ってみるのもいいものだな」
「そう言えばそうだね。ちょっと新鮮」
歩いている時とも違う。ストライカーで飛んでいる時とも違う、緩やかな速度。そよ風にも似た心地良い風が身体を撫でる。
景色も長閑に、ゆっくりと流れて行く。
午後のひととき、基地をぐるりと巡る「小さな旅」。凪のアドリア海を望む基地は海風も爽やかで……
いつしか、基地の端にまで来ていた。
「しまった。つい、遠くに」
「……うーん。どこ、ここ?」
「何っ? エーリカ寝てたのか?」
「ちょっと気持ち良くてウトウト」
「全く、お前という奴は」
「トゥルーデだもん。背中預けてるって言うかくっついてるから大丈夫だよ」
「あのなあ」
ふあー、と大きなあくびをひとつしたエーリカは、辺りを見て、基地の端に居る事を察する。
「随分遠くまで来たね。前にトレーニングのジョギングで来た様な」
「自転車なら割とすぐだな」
「でも、風が気持ちいいよね」
「ああ」
「今度は、ミーナに許可貰って、基地の外行くの良くない? せっかくだから自転車も増やしてさ」
「それはつまり、私達二人でか?」
「うん。楽しいよ、きっと」
「……かもな」
トゥルーデは笑顔を見せた。エーリカも共に微笑んだ。
end